「元気があればなんでもできる」(by アントニオ猪木)という言葉があります。
これは真実だなと思っていた時期がありますが、今は「意欲があればどうにでもなる」というのが真実だと思います。
現状がどんな状態であったとしても、高い理想に近づいていこうとする意欲さえあれば、最終的にはそれが形になっていくのです。
子供の頃、「自分には根気が無い」というコンプレックスを持っていました。
物事にいつまでも集中してこなせる人を、羨望の目で見ていました。
でも、漫画を読んだりゲームをしたり、好きなことなら、人は苦もなくやり続けられる。
であれば、勉強にしても仕事にしても、やらなければいけないことを、そういった好きなことのように感じられる意識があればいいな、と思ったこともあります。
それは、「面倒くさい」「やりたくない」「自分には無理だ」といったネガティブな心が生じない、ある意味最強の状態だと思います。
(そうすると現状の自分は最弱とも言えます)
人間が修行を終えた暁には、そういった意識に到達するのかもしれませんが、まだまだ未熟な段階では、いかにそういったネガティブな心を克服して、逆に意欲が湧いてくる心にできるかが大きなポイントになると感じました。
そして今の自分はその修行中の段階です。
「今を生きる」、それは過去からのプロセス、未来への眺望を含んだ立体的な捉え方です。
その人がやるべき役割、その人が取り組むべきテーマ、その人の今の実態、その人に宇宙が与えているもの、それら全ては目の前に現れている。
だから、目の前にあることを積極的に次々こなしていくことが、宇宙の大輪に乗っていくこと、勢いよく生きていくことになります。
身の回りを見渡したときに、何が今必要かといった気づきが生まれてきます。
そして、やる気が出てから行動する、という考え方が迷信であると最近は感じています。
むしろ行動していく中でこそ、やる気が湧いてくる、という方が自然かもしれません。
人が行動しているとき、静止して思考しているときとは別の次元に身を置いているように思います。
行動しているその瞬間に、リアルタイムで流れを見つけていき、その後に様々な学びがあります。
人間の脳の中には、爬虫類の脳というのがあります。
進化の過程で、その上の階層の、哺乳類としての脳、人類としての脳、そして今の自分自身としての脳が発達してきましたが、この爬虫類の脳というのは本能を司り、主に生存にまつわることを考えています。
だからこの脳は、何かをやろうとしたときに、それが生存を脅かす危険なことだと間違って解釈すると、やめさせる理由をあれこれ考えてくれます。
例えば僕の場合、「失敗したら恥をかくからやめよう」「今の自分ではまだ無理だよ」「また馬鹿にされるぞ」といった具合に。
但し、何かをやると決めてから5秒以内ならそういった思考が湧いてこないので、5秒カウントダウンしてすぐ実行する、という手法が「5SECOND RULE」という本に紹介されていますが、一番いいのはカウントダウンせずに思い立ったら即実行ですね。
社会的な問題になっている「引きこもり」についてですが、この人達はエネルギーが枯渇しているわけではなく、内在しているエネルギーが有効活用されていない、が正しい解釈だと思います。
そして自分自身が発しているエネルギーの素性を理解していません。
実際、木の花ファミリーの自然療法プログラムを受けた人達の中にも、鬱やひきこもりでまったく活動できなかった人が、短い期間で作業や自己表現に専念できるようになることも少なくないです。
漫画で不良にボクシングを教えて更正させる、なんてストーリーがありますが、やり場の無いエネルギーを健全な形で消費できて、良心からこれだと思えることをやれるだけで、人はいきいきとするのだと思います。
そして、その人ならではの「はまりどころ」というのが、必ず用意されているはずです。
エネルギーの使い方はいろいろあると思いますが、その中で人間にしかできないことが「創造」であり、それは人間に託された使命のひとつです。
目には見えない高次元の世界では、思ったことがそのままある世界なので、実現のプロセスがいらないのですが、この物理的世界は、人間の思考が確かなものであるのかを、形にして確認をするための場です。
直観は気づきとなり、それが思考を司り、その延長に創造が生まれ、その因果応報で現象が創造されます。
天に心を向けて、何かをイメージする。
そしてそれを現象化するように行動する。
それが宇宙や時代の流れに沿うことなり、確実に有益なものとなって返ってきます。
状況や環境に右往左往する生き方ではなく、自分の意思のもとに天との連携の実感を深めていく生き方ができると、それが私達の生きる意欲につながっていくのです。