
隙間です
あまりにも震災の事で自分自身が初めて ”言葉がない”
震災にあわれた方々に対して、軽はずみな言葉なんて あげられないのだから
”がんばって”なんて 言えない..
隙間は あのとき 大阪にいました
すぐにスタッフからメールで連絡をもらい
携帯で 津波が襲う町を
隙間は
ただ 見つめる事しかできなかった..
その後の 動きは、省略する。
スタッフの知人と一緒に 避難所をひとつ ひとつ 親戚を探した
メールも携帯も通じない
体育館入口のたくさんの張り紙を見ながら
僕らは、避難所の段ボールで仕切られたプライベートから
少しでも 和らげたいという気持ちだけで
親戚だけだったが 宮城県から山形の温泉に移動させた..
遺体安置所も この目で見た。。
僕は あの言葉を忘れない
小学校4年生ぐらいの少女が、たぶん 津波で巻き込まれた 母親に
泣きながら ”先に逃げてきて ごめんね”っと 遺体に呟いていた
不覚にも 僕は そこでも その少女に言葉も あげられなかった
そして 涙があふれ出ていた
隙間は 悔しい
なにも できないことが 悔しい
神さまが いるのであれば
人生のなかで ひとつだけでもいいんだ
みんなに 力をください
隙間より












