「き」の音の本質を探ってみる。
き、には、きちんと、きっちり、切る、きわをはっきりする、区画を明確にする、けじめをつける、などの意味がある。
古い言葉でも、き=くにの境界、入口と限界などの「かこい」に、「き(木)」で、「くい(杭)」を打って「き(城)」と呼んだ様で、「いばらき(茨城)」などは棘のあるイバラを外周に巡らせて、そこが外と内との「き」となっていたようである。
外から見て、そのように区切られて支配されているエリアが「き(城)」だったのだろう。
この場合の意味としては中国の万里の長城の城に近いように思う。あちらでは城は”チャン”と発音されるらしい。
「しろ」が天守閣の建物を含め、それを立てるような見晴らしのいい土地を、遠くを見はって早くに察知するための「知ろ」ということであったのなら、「き」の方は城郭や、諸外国の都市国家にあるような「囲い」自体から派生して「囲われた土地」=「くに」も表したと思われる。
きちんとする、きっかり分ける、の「き」を表の意味の、正の「き」とするなら、それを否定した場合に生ずる負の意味で「き」の使われている言葉が「きたない」という語だろうか。
「きた」が「なし」であるから、「きた」の意味を考えてみると、「き」にはじゃ上記のとおり、きっちり切られたもの・こと・ところなどだとすると、「た」はきれている二つのものが到達してふれあったところ、たとえば足が地面に触れているのは「たつ(立つ)」であるし、逆につながっていたものを"き"(切)ると似たような「たつ(断つ」という言葉もあり、その場にいたものが出発して離れてゆく瞬間を「たつ(発つ)」とも言う。
英語の"Touch"や漢字の”達する”にも似たイメージがあるが、ついていたものが離れて「たってゆく」にしろ、そのままの状態で「たっている」にしろ、「た」には別の者同士がぴったりと面やラインを接した状態ではなかろうか。
また、~た、~だ、という過去形や、完結した、完成した、決まってしまったという言い方にも「た」の音が使われる。
「き」と「た」は、どちらも切れ目を持っていて、だらしなくないのだ。接してはいても、連続性のあるなめらかな続きではなく、そこで区切って、そしてこれで一つの形として完成。とする繋がっていないものる似た印象の音だ。
「き+た」という語には、切れ目+到達限界としてそこで完結した、というスッキリしたイメージがある。
けじめがある、だらしなくない、あいまいでない、きちんとした。
それが「ない」とすると、だらしない、きっちりしていない、滲んでいたりボケていたり、はみ出していたり、ぐちゃぐちゃしていたりすることになる。
「きた(が)無い」という表現は「けじめ(が)無い」という表現に似ているものかもしれない。「きたなし」は「けじめなし」に近く、ほかに「~なし」という表現の悪い言葉として「いくじなし」「かいしょうなし」などと同じ構造の非難めいた言葉として生まれたのだろう。
ところで「きた」と言って真っ先に浮かぶのは、「きたない」よりも、方位としての東西南北の「キタ(北)」ではないだろうか。
これがもしも外来語でなく、古来からの日本人によってどこかで誰かが使い始め、それが受け入れられ広く使われ始めたものだとしたら、この語にも上で見た「き」と「た」の音の意味が込められていると思われる。
すると、すぐに思いつく考えうるパターンとして、
1.「キ(城/国)」が「タ(建っている/存在する)」方位だったために、自分たちの国をキタとして背にし、東西や南を左右や前に置いていたので、慣用的にキタ=北、つまり背になった。
2.「キ(切片)」「タ(~た、達した)」のように、太陽の運行や暦、方位方角の概念を学者が意味的に学術用語として命名し、それが昔の知識人の間で使われてきた
の二つが挙げられる。
どちらか片方かもしれないが、私個人的には、両方を兼ねるような形で広まったのかもしれないと思う。
既にどこかのキ(城国)でその意味を持って使われていたものが知識人に採用された、または、中央の知識人が意味から命名したものが、一般化していった・・・というように。
いずれにしろ、方位としての「きた」はやはり日本人の感性から出てきた、一音一音に意味を持つ和語であるように思われる。その理由のひとつとして、日本人はよく漢字を漢字読みせずに和語を充てるが、このとき、かなり絶妙の選択をしていて、ひょっとすると概念としてそれまで日本語の単語になかったような語であっても、その都度、自分たちの言葉の音の中から同じ意味の音を使って新しい単語を作りだしてまで日本語化しようと努力していたようだからだ。
諸外国の文化の大量に入ってきた江戸時代~明治の頃にも、「哲学」などの全く新しい単語や熟語が創られた。
とすると、「きた」は漢字に触れてから作られた新しい和語かもしれない。
北の方向を示す語はむかしからたくさんあったが、どれも説明的で長かった所に、意味から根本的に訳した語として登場したという可能性も考えて見ると面白い。
かつての先進国だった大陸の漢字に「北」と「背」があり、どちらもペイと発音されている。
文字に価値を感じて導入した者は、北+月で背となるような構造が大事であると見て、月は「つき」で着く・突っつく、など、切れ目の無い時間に目盛りを刻んで行くものであるし、そもそもこの月はにくづきの意味で、人間の肉体を表しているから、体の北=背であるという概念にも齟齬の出ないように考えられただろう。
”背(ペイ)にしたところが体の北(ペイ)である”という命題を満たし、かつ、”月は日本語は「つき」とよむ”ことにも合うように、”北(ペイ)”は日本語ならばなんと表現すべきか?---このような連立方程式を解いたときに、”北(ペイ)”という外国語に新・和語が創られて充てられたとしたら。
中国では、王や皇帝の様な支配者は北に座して南を向いて天下を見るとされ、普通の地図とは別に、陰陽五行や八卦などで知られる術では図の下が北、上が南になるように書かれた。
この逸話はどことなく、戦術家が図を見せて向かい合って説明をする時に、配置は戦術家から見やすく、文字は王の側から読めるように逆転させたのに王の顔を立ててもっともらしく理屈を付けた物のように思えなくもない。
なぜなら、色々と尋ねられてその場で解釈をして行こうと思えば、うっかり逆向きの図で間違って逆方位を示してしまったら致命的なミスを犯してしまうためだ。国も自分も危機になってしまうから、自分ならそうするだろうな、と自然に思う策としてこの南北逆転でご覧頂く理由を聞かせるだろうと思うためである。
残った図などから結局は図ごとさかさまに伝承されているので、逆さまになった当初の目的は意味がなくなってしまったと思うが、とにかく北を背にして南を向くというのが天下を握る者の立ち位置とされたから、この考え方が、入って(あるいは太古から共有されてきた)ために、城のある「きた」側から天下(みな)を見(み)て「北と南」という呼び方があったのだと考えると実に収まりがいい。
これらは私の仮説でしかないが、語の発祥としてとても納得がいくものに思える。
ただひとつ気にかかる点は、「き」の語を「杭で囲んだ囲いと、その中の国の土地」として使っていたのは、神話などから見ると、征伐された現地民の側ではないかと思うのだ。
言語の話にあまり歴史の話や伝説の話を混ぜてしまうと収拾がつかないが、目立つ疑問なので書きとめておく。
先にも書いた通り、文化的とされている諸外国では、国と言えば城壁に囲まれた都市国家が多く、日本のように国盗り合戦が行われていたのに市街地が城壁で囲まれていない国というのは珍しいほうらしい。
その理由は、すめらみことの国策で、バラバラに住んでいる村や国をみんな連携させ、従わないものは討ち、天下一つの国として、それぞれの国司を置いて中央が統べる・・・ということにしたからだろう。
武家が台頭しても、建前上は「征夷のための将軍」つまり一つの国としてやっていこうとする側と、それに従わない夷の側があって、キなどで囲って「俺たちの国はいっしょにならないよ」と言っていたら、中央から「なんたらのミコト」とやらが命令をもってやってきて、このキを打ち壊してしまうのである。
結果、イバラキの原住民も策に負けて従うことになったわけだ。が、地名を見るとヒタチにしろカガシマにしろカガウラにしろ、じつに和語そのままようである。
この名は、中央が新たに付けたのではなく、むしろ中央によって言葉を封じられそうになっているようにすら見受ける。
ひょっとすると、キタやミナミという言葉は、東の、もっと言えば北方の言葉からきているのではないだろうか?
関東以北にはアイヌ語の地名も多いと聞くが、ハ行がhの前はpであったことを考えると、日の立つところ「ひたち」=ピタティ、日に向く方位、あるいは日を迎えるところ「ひむかし」=ピムカシ、さらに、カガヤキやカガヤキやカガミ、カガミ、カギ、カゲ、カゴ、カグヤなどいった日本語の奥義のようなKAGという言葉も、現在ロシアの一少数民族で同じような「光」に関係する意味で使われているという。
彼らの中に、キで囲われたところを住み処とする者があるかどうかは興味深い。
なぜ住み家を土の城壁でなく木の杭で囲い、入口に土や連がの門ではなく木の柱で門柱を立てていたのか。
もともと森や林の中で、この木からこの木まで・・・となわばりをしていた名残なのだろうか。
そのために使うキが、そのまま目印となる木や藪のようなもの、杭にも「キ」として使われたのか。
漢字では城の文字は土篇であるから、おそらく土や煉瓦で城壁が作られたのだろう。壁という文字の下にも土が使われている。
一方、日本では石の城壁のことを磐城(いわき)という。イワとはもちろん岩のことだから、もともと城壁が岩だったのなら頭にわざわざ岩と付ける必要はない。岩でできたキはイワキ、川や沼、堀などで囲われて守られていればミズキ(水城)、特に何も付けなければキと言えば樹木で囲われたものがキだったのを、人工的に植えた生垣や、切り出した柱・杭で囲うようになって、これがキだったのだろう。
これらはすべて、外界と切り分けた内側に守られるための境界で、「そト」と「うチ」をキるだけでなく、オモテから見て「うラ」もある。
今でも、家の敷地の区切りとして、生垣や竹垣など、植物による囲いが使われている。
カキネとは、形のカ、切れ目のキ、根や寝のネ、の音から成り立っているのだろう。
音のことをネと読むのも、この世界に咲く形あるものを作り出す元が音であるからなのかもしれない。
人は死ぬとネの国へ行くという…永遠のネむりにつく、ともいう。
また、ネは養分を吸い上げるための、細く長く連なるものだ。今生きている自分の中につながる血は、先祖から受け継いでおり、逆にたどるとまるで土に張り巡らしたネ(根)の様だ。
ネの項でさらに語ってみたい。
同じキでも、根っこのある生垣と、切り出した杭とでは、生垣の方がウチに住むものを守ってくれそうだ。
ということは、外国人の目線から見て、住人を守るための城壁が作られていないように思えても、日本人にとってみればそこらじゅうにキの城壁があって、庭の植木、生垣、目立つ大きな木や、こんもりとした木々の小山、杜などといったものが、じゅうぶんに縄張りの目印となっているのだ。
その価値観を共有していない者にとっては、それはただの景色でしかないかもしれないが、代々その土地に住む者にとっては、地形もさることながら、何よりも木というのが重要だったのかもしれない。
出雲の神は大黒天とされたのちに「大黒柱」の言葉ができたことからも、柱と深い関係にありそうだ。
伊勢神宮も木々の中にあり、地方の村々も鎮守の杜を持っている。木立の中に縄が張られ結界を示し祠が経つ。
空間や土地を「切」り分ける、のキと、「木」のどちらも「キ」であることは、ぐうぜんではないのかもしれない。
むしろ、木をキと読むこと自体、木は「空間を切り分けるもの」だという意味で使われていたせいなのではないか。
それとも、もともとまっすぐでキリっと立つ木が、空間を切り分けているように見えるから、呼び名と利用方法はほぼ同時発生だったのだろうか。
日の木はヒノキ、ひ=ピで、ピは人も表すとすれば、人の住むキ・・つまり家はヒノキ作りが良い、というのが古代人の教えてくれるメッセージなのだろうか。
いや、さすがにそこまでは考え過ぎだろうけれども。
枝別れをして育つもの、としての「ヱ」には、植物としての生命が感じられるが、「キ」の音に感じるものは、根の国からこの生の国の空間を切り裂くように割り入ってくるかのような、断つものとしての厳しさ、キツさ、毅然としたイメージだ。
断つと立つがおなじタツであるように、辰(龍、竜)もまた、日本語ではタツと読むのだが、これは五行説の木火土金水の木性を帯びた東の方位の守護神で、物事が出発する・・「発つ」場所と時期もあらわしている。
十二支においても、真北を「ネ」として、うし、とら、真東が「う」、東よりの東南が「たつ」である。
真北の「ネ」が根に通ずるのもさることながら、真東の「う」は埋もれていたものが生まれるけれどくっついている地平、次の「たつ」は、大地との関係を”断ち”、自らの足で”立ち”、そして南天へと”発つ”、”辰の方位”である。
林立する、という言葉があるように、木と言うのは立つものであって、日本人には当たり前のことだ。
辰タツの方位が木性であるという説明は、まま日本語の意味と音韻のを解説しているかのようである。
この辰の字の上に雨をつけると、震という文字ができるが、どちらも音読みではシンになる。これは震動が音を発生させることから、音声や号令の意味をもつらしい。
雨と辰といったら、水神としての龍の姿になる。
龍のことは音読みでリュウというが、立つという漢字もリウと読む。建立(こんりゅう)などにその例が見られる。
日本語の場合、キに対して、到達するのも「タ」であり、そこにいるのも「タ」であり、離れていくのも「タ」だ。
達する時は「足る」、そこにいるのは「建つ」、離れるのは「断つ」「発つ」が使われる。
だが、二者の「タ」が存在するとき、そこには二者の「キ」が存在している。
二者にはハッキリと切れ目があるのだ。
キは、凛として立つ木立の、まっすぐなものにこそふさわしい音かもしれない。
ベタベタしない。くっついて同化してしまわない、自分は自分という明確な自己をもち、外界と切り離されている存在。
そして、その場を動くことがなく、指標となる。ポーラースターがポールと呼ばれるように、キは皆の目印となり、キタの語源になり、キリリとした、キチンとした、キタ無くない、キッチリとした、そういう雰囲気を日本人に与えているようにも思われる。