3つ目の街
自分にとっては2度目の引越し。
母方の実家が近くにある"日本のふるさと"と形容されるような場所であった。
その田舎にも、新興住宅地化を目指す開発が始まっており、庭付き一戸建てが盛んな土地だった。
私の家もその1つを購入したものであった。
私にも継続して1部屋が与えられた。
6畳+押入れのある広い畳の部屋だった。
本当はフローリングの部屋が欲しかったのだが、姉に取られたのである。
私は、引っ越した先に、謎の閉塞感を感じていた。
何かがつまらない。
友達が居ないから?
お店がないから?
学校が遠いから?
謎の息苦しさ。
そんな中でも強制的にやらされる地区対抗のソフトボールなどにも転校してすぐ参加させられた。
そこで、逆らってはいけない人に逆らったようで、3つ上の先輩からイジメられるようになった。
私の体には家で作ったアザよりも目立つアザを作っていた。
練習で失敗をしては、ケツバットという罰ゲーム。
私の事が気に入らなかったようで、悪意のあるスイング。
さすがに金属バットや木製バットではやられなかったが・・・
私の体には家で作るアザとは違う場所にアザが出来ていた。
ある時、イジメていた先輩と話の合いをしようとしたのだが殴り合いの喧嘩になった。
お互いに殴りあった・・・となれば格好も着くのだが、喧嘩の仕方も知らない私が一方的に殴られた。
その一件の後、違う先輩が仲裁する事により、一方的なイジメもなくなった。
違う先輩は、男子にも女子にも人気があり、運動神経が抜群な先輩だった。
いわゆる学校の人気者である。
私は運が良かったのだろうか?イジメの得意な先輩からイジメられてる子は他にも居たのに、自分だけは対象外にされた形となった。私は、他の子を助けようとしなかった。
4年生からは当時流行っていたミニバスケットボールクラブに入った。
ミニバスに入るのに・・・何度も親と喧嘩し、殴られたのは内緒だ。
子供が好きな事をやるのに、たった2000円の月謝が勿体無いようだ。
他にも道具代などがかかるのだから、2000円では済まないわけだが・・・
この時から"金食い虫"と父親から呼ばれる。
一番安いバッシュにクラブのジャージ以外は買っていなかったのに・・・
バッシュに穴が空いても、滑ってばかりになっても怖くて買って欲しいなんて言えなかった。
ワタシ、ソンナニゼイタクシテマスカ?
残念な事に、私には運動神経というものはほとんど無かった。
それどころか、人よりも心肺が弱いことや、筋肉が付き辛い体であることが発覚した・・・
親からは運動は辞めなさいと言われた。
死ぬような事じゃないのに、人より肉体的に劣っているから。
人に負ける事は始めからすべきじゃないと。
そう言われたかどうかは覚えていないが、私はそう受け取っていた。
けど、私は辞めなかった。
監督・コーチには親から体の事は伝わっていたようだ。
練習がきつかったら休んでいいと。"特別扱い"された。
運動神経が無いうえ、努力することで肉体的に強くなることもない。
練習を休んで良いなんて、将来性がない人にしか言わないよね・・・私は知ってたよ。
段々と、尊敬していたコーチを手伝うようになり、女子の相手や後輩に教える立場になっていった。
どう見ても現役じゃない感じ。
女子にも2学年下の子にも走り負ける脚力、3分程でプレイに支障をきたす体力。
卑屈にならないわけがない、自分を呪わないわけがない・・・
○○(本名)コーチなんて有難くないあだなを付けられながらも6年生の最後までやった。
なぜか自分より上手い子が居るのにベンチにずっと居た。
スコアが書けるとか、大声が出るからって理由だろうが。
大勢が決まった試合には出して貰っていた。
コーチには冷静に試合を進められるからとか励まされたけど、可哀想な子って思われてるんじゃないかって思ってた。
"ある日、体が丈夫になる"かもしれないってあり得ない希望を持ってた自分が居た。
6年生最後の試合、県大会の途中で負けて数日経った後にコーチと監督に自分だけ呼ばれた事があった。
3年間良く続けてくれたっていうのと、女子や下の子の練習に付き合ってくれてありがとう。
そして、中学校に入っても続けて欲しいと。
子供の自分からしても、なぜ?しか出てこないよね。
中学校に入ったらバスケは辞める気だった。
バスケだけじゃなくて、運動部は無理ということ。
親も望んでいたし、自分もわかっていたから。
コーチと監督の説明としては、
同級生も含め2つ上までの卒業生を見てもバスケットを一番理解してる。
周りに協力することを惜しまない性格だから。と・・・
中学校では、ルールもわからない先生が顧問だった。
それを嘆いた卒業生がコーチや監督を度々尋ねてきていた。
ミニバスの卒業生にも気に入られていたし、自分なら適任じゃないかってことだった。
誰も・・・自分の気持ちはわかってないって思った。
周りに協力することを惜しまない?違う・・・
まともにプレーできない自分の居場所を作ろうとしていただけ。
同じ事を出来ないのがどれだけ苦しいことなのか。
同級生には体の事は伝えてない。
サボってると糾弾されることが走れない事以上に辛い。
バスケが好きってのもあったけど、それ以上にチームが好きだっただけだってこと。
引き際にさせて欲しかった。
同級生達と全員中学校にあがってもバスケ部に入ることを申し合わせていた。
抜けるのは・・・自分だけのつもりだった。
文化部に入って、仲間にはその後に理由を話そうと思ってた。
だから、コーチと監督には、その事を伝えて断った。
母方の実家が近くにある"日本のふるさと"と形容されるような場所であった。
その田舎にも、新興住宅地化を目指す開発が始まっており、庭付き一戸建てが盛んな土地だった。
私の家もその1つを購入したものであった。
私にも継続して1部屋が与えられた。
6畳+押入れのある広い畳の部屋だった。
本当はフローリングの部屋が欲しかったのだが、姉に取られたのである。
私は、引っ越した先に、謎の閉塞感を感じていた。
何かがつまらない。
友達が居ないから?
お店がないから?
学校が遠いから?
謎の息苦しさ。
そんな中でも強制的にやらされる地区対抗のソフトボールなどにも転校してすぐ参加させられた。
そこで、逆らってはいけない人に逆らったようで、3つ上の先輩からイジメられるようになった。
私の体には家で作ったアザよりも目立つアザを作っていた。
練習で失敗をしては、ケツバットという罰ゲーム。
私の事が気に入らなかったようで、悪意のあるスイング。
さすがに金属バットや木製バットではやられなかったが・・・
私の体には家で作るアザとは違う場所にアザが出来ていた。
ある時、イジメていた先輩と話の合いをしようとしたのだが殴り合いの喧嘩になった。
お互いに殴りあった・・・となれば格好も着くのだが、喧嘩の仕方も知らない私が一方的に殴られた。
その一件の後、違う先輩が仲裁する事により、一方的なイジメもなくなった。
違う先輩は、男子にも女子にも人気があり、運動神経が抜群な先輩だった。
いわゆる学校の人気者である。
私は運が良かったのだろうか?イジメの得意な先輩からイジメられてる子は他にも居たのに、自分だけは対象外にされた形となった。私は、他の子を助けようとしなかった。
4年生からは当時流行っていたミニバスケットボールクラブに入った。
ミニバスに入るのに・・・何度も親と喧嘩し、殴られたのは内緒だ。
子供が好きな事をやるのに、たった2000円の月謝が勿体無いようだ。
他にも道具代などがかかるのだから、2000円では済まないわけだが・・・
この時から"金食い虫"と父親から呼ばれる。
一番安いバッシュにクラブのジャージ以外は買っていなかったのに・・・
バッシュに穴が空いても、滑ってばかりになっても怖くて買って欲しいなんて言えなかった。
ワタシ、ソンナニゼイタクシテマスカ?
残念な事に、私には運動神経というものはほとんど無かった。
それどころか、人よりも心肺が弱いことや、筋肉が付き辛い体であることが発覚した・・・
親からは運動は辞めなさいと言われた。
死ぬような事じゃないのに、人より肉体的に劣っているから。
人に負ける事は始めからすべきじゃないと。
そう言われたかどうかは覚えていないが、私はそう受け取っていた。
けど、私は辞めなかった。
監督・コーチには親から体の事は伝わっていたようだ。
練習がきつかったら休んでいいと。"特別扱い"された。
運動神経が無いうえ、努力することで肉体的に強くなることもない。
練習を休んで良いなんて、将来性がない人にしか言わないよね・・・私は知ってたよ。
段々と、尊敬していたコーチを手伝うようになり、女子の相手や後輩に教える立場になっていった。
どう見ても現役じゃない感じ。
女子にも2学年下の子にも走り負ける脚力、3分程でプレイに支障をきたす体力。
卑屈にならないわけがない、自分を呪わないわけがない・・・
○○(本名)コーチなんて有難くないあだなを付けられながらも6年生の最後までやった。
なぜか自分より上手い子が居るのにベンチにずっと居た。
スコアが書けるとか、大声が出るからって理由だろうが。
大勢が決まった試合には出して貰っていた。
コーチには冷静に試合を進められるからとか励まされたけど、可哀想な子って思われてるんじゃないかって思ってた。
"ある日、体が丈夫になる"かもしれないってあり得ない希望を持ってた自分が居た。
6年生最後の試合、県大会の途中で負けて数日経った後にコーチと監督に自分だけ呼ばれた事があった。
3年間良く続けてくれたっていうのと、女子や下の子の練習に付き合ってくれてありがとう。
そして、中学校に入っても続けて欲しいと。
子供の自分からしても、なぜ?しか出てこないよね。
中学校に入ったらバスケは辞める気だった。
バスケだけじゃなくて、運動部は無理ということ。
親も望んでいたし、自分もわかっていたから。
コーチと監督の説明としては、
同級生も含め2つ上までの卒業生を見てもバスケットを一番理解してる。
周りに協力することを惜しまない性格だから。と・・・
中学校では、ルールもわからない先生が顧問だった。
それを嘆いた卒業生がコーチや監督を度々尋ねてきていた。
ミニバスの卒業生にも気に入られていたし、自分なら適任じゃないかってことだった。
誰も・・・自分の気持ちはわかってないって思った。
周りに協力することを惜しまない?違う・・・
まともにプレーできない自分の居場所を作ろうとしていただけ。
同じ事を出来ないのがどれだけ苦しいことなのか。
同級生には体の事は伝えてない。
サボってると糾弾されることが走れない事以上に辛い。
バスケが好きってのもあったけど、それ以上にチームが好きだっただけだってこと。
引き際にさせて欲しかった。
同級生達と全員中学校にあがってもバスケ部に入ることを申し合わせていた。
抜けるのは・・・自分だけのつもりだった。
文化部に入って、仲間にはその後に理由を話そうと思ってた。
だから、コーチと監督には、その事を伝えて断った。