ああ、そこか。
と気づいた。
モラハラというのを考えるその始まりからすでに違っているんだ。
数多居るそれ関係のネットカウンセラーのなかで、唯一、joeさんのブログやメソッドは結婚生活のあいだ参考にさせてもらってたし、そこで知り合ったブロ友さんたちとはいまだに交流がある。
ただ毎回読んで参考にしてたのは別居の1年前くらいまでの2年弱で。
その後は自分で考えて行動し(そういう思考が戻ったからでもある)知り合ったブロ友さんたちに随時(メッセージで)相談して対処する事が多かった。
その中で、私やその人たちの共通認識は、モラハラとは(DVも)対処してやり過ごせばいいという種類のものではなく、人間として許しちゃいけない類のもの、だった。
最近、先のブログで
「逃げて別の環境で生きるか」/それとも/「その場に留まって対応するか」/ということの間には、私にとっては明確な境目は無くて、/根本的には/同じことだと思います。
と書いてあるのを読んで、ああ、私との違いはそこか、と。
おそらく多くの同業の人、それを実践してる人も、その点はjoeさんと同じ考えなんだろう。
自分と違うからそれらが間違ってると言うつもりはないし、異なる意見をそれだけでdisる風潮も私は嫌いだ。
何かに対して、ひとつの正解しかありえない、ってことはないから、答えを一つしか認めないっていう考え方自体が危険と思ってる。
ただ、モラハラについて取り組んでいるってことは同じでも、どう考えてるかっていう根本からして、自分の立ち位置と違うことは認識してないと齟齬が生じるんだなあと、改めて思った次第。
別の環境に行っても、留まって対応するのと「根本的には同じ」になってしまうこともあるとは思う。
本人の考え方や生き方感じ方が、以前と同じなら、似たような輩を引き寄せてしまうことは多いよ、という意味で。
でも私の現在の人間関係はそうではなくて、以前の(元夫やそれと関係する人)、つまり「対処しないといられないような関係」はない。
関わる人間の数が相当狭まったから、でもあるけど。
その人々は、モラハラやDVについて、私と同じ考え方だ。
人としてありえないこと、そんな関係からはすぐ離れるべき、という認識。
それは同じような体験をした人を含む女性の友人ばかりではなく、男性の友人・知人でもそう。
だから男女の違いというより、やはり生き方とか価値観の違いと思う。
そういう人たちとの関係は、モラハラ人格と共存することと「根本が」違う。
関わり方の、そこに生まれる感情の、交わす言葉の、すべてのコミュニケーションの前提が違うことは実感してる。
だから、私にとって(元)夫と共存することと、別の環境で生きることは、全く根本から違っていて「同じ」ではないな。
共存中の対処法としては、とても役に立ったけど、同時に「これを死ぬまで続けたくはないな」とも気づいた。
私はそう思ったけど、そうではない考え方、私とは違うことを求めている人もいる。
それを見ていて、私が歯がゆい思いをするのも違うんだろうな。
みんな自分の望むように生きるだけなんだし。
私は同じ価値観の人と生きつつ、自分の考えをブツブツとここでつぶやき続けるだけ。