Jun-Marieの哲学的夜想曲

Jun-Marieの哲学的夜想曲

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最近YouTubeをよくみています、Jun-Marieです。

 

 

 

数ある動画の中で、少し気になったコンテンツがありましたので、今回記事にさせていただきました。

テーマは日本のメディアです。

 

日本のメディアというと、雑誌、テレビやラジオ、今ではSNSやインターネットのウェブサイトなどたくさんあります。

しかし、一昔前は、「テレビ」とは日本人の生活に欠かせないもの、という印象がありました。

ドラマ、バラエティ番組、ニュースにスポーツ、情報と娯楽が一体化したものではなかったでしょうか。

 

そのような、大きな存在には、時代に対応する批判がつきものですが、今、最も「メディア離れ」が目立つタイミングのように思えます。

数ある批判の中で、今回は、海外在住日本人への日本の報道の対応、という点に着目してみようと思います。

 

 

 

コロナが勃発し、人の行き来が難しくなった時期、日本のメディアは、現地在住の日本人に目を付けたようです。

私自身はインフルエンサーでもないので実体験に基づくお話ではないですが、聞いた話によると、SNSを通して、日本のメディアよりコンタクトを受けることがあるみたいです。

内容は、現地での町の様子の撮影や、街頭インタビュー、またビデオ会議アプリでの本人に対するインタビューなど。

 

近年より、日本メディアの情報のバイアス化や情報操作、または信頼性そのものが課題点として挙げられている中、お話の中で、特に気になったのは、報酬の話。

コンテンツ作成者によると、報酬が出ないことがあり、それはどうなのか、という問題提起がされていました。

 

確かに、1,2時間のインタビューのみならず、実際に自分の健康のリスクを冒してまでも、外出して撮影やインタビューを行い、無収入では割に合わないという点も理解できます。

 

でも、それって必要とされている仕事量と質なのですかね。もしくは、そもそもする必要ありますか?

 

 

 

ここからは、完全なる筆者の仮説と憶測による独自の意見となりますが、SNSよりリーチする日本のマスコミはあくまで、お願いベースで協力してくれる在外日本人を探しているのではないかと考えられます。

 

この問題の解決策①として、そもそもかかわらない、というものがあげれらます。

 

でも、日本人の方ってみんな丁寧で、サービス精神旺盛ですよね。

だから、それを逆手に取られているんではないかと思います。

お願いしたら、それなりのものを提供してくれて、何も言ってこなければ、無報酬でもOK、のように。

 

なので、解決策➁として、報酬に見合った協力をする、交渉時に報酬の話がなければ、無報酬と認識して、それなりのものを納品する、と。レストランのレビューを投稿するみたいな感覚ですかね。レビューってお金のためではなく、ただ単にレストランにコメントを残す(良し悪しありきで)やほかの人におすすめする、くらいの善意行為ですよね。

 

ここまで解決策①と➁はとてもパッシブなものでしたが、筆者が一番言いたかったのは、次の③です。

 

ずばり、依頼を受ける前に報酬交渉をする、ということです。

正直、これは在外日本人の皆様が交渉をするというカルチャーを作り始めないと成り立たないと思いますが(タダで協力してくれる他の人がいる限り、交渉した時点で依頼はされない)、実現されると、メディアの質も、仕事をする側の不満もなくなると思います。

 

 

 

このお話を筆者が面白く感じるのは、これはまさに日本人の典型的な心理的特徴の一例だからです。

 

「お金」の話ってとてもデリケートなんです。正確にいうと、これは世界共通ではないかと思われますが、日本の場合、デリケートさに、磨きがかかっている、といえばいいのでしょうか。

 

例えば、日本ではお仕事を探すとき、給料は、1)求人にはっきりと書かれている、もしくは2)内定時に提示されることが多いかと思われます。

内定が出た時点で、給料の交渉なんて恐れ多くてできないかもしれません。(内定取り消しされるかも(笑)

でも、ほかの文化では、面接時にインタビューイー(求人者)が求める報酬を提示して、その場もしくは後日交渉が行われる、という方が多いように思われました。

フランスでは、求人に給料額が書かれていても、採用段階で交渉をすることはよくあるみたいです。

 

 

 

このように、日本と外国の懸け橋となっている在外日本人の方々は、上記のようなオープンな方法を取り始めても問題はないのではないかと思いました。

そこから、実際に日本国内でもこのような方法が実践されれば、労働の需要と供給の質も上がる一つのきっかけになるのではないかと筆者は考えます。

 

 

 

日本のメディアの批判というテーマから、最終的には労働経済学へのコメントにたどりついてしまいました。

何百投稿後には、統一感のあるブログをかけるよう志します。

 

それでは、みなさま、良い夢を。おやすみなさい。