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Jun-Marieの哲学的夜想曲

語学・文化・生活・思想、その他、気の向くままに投稿しています。少しでも多くの出会いがありますように。

キャパ越えの記事を書き始めて、長期休業に入ってしまいました、Jun-Marieです。

 

 

 

本日は、バイリンガルのその又先、トリリンガルについてお話ししようと思います。

日本人だと、母国が日本語、第二言語が英語で、プラスαでまた別の外国語、というコンビネーションになると思いますが、

今回はまさにその通り、筆者の実体験に基づいて、日本語、英語とフランス語を習得することについて、お話しします。

 

 

 

まず、第二言語の習得理由は様々だと考えられます。例えば片方の親が外国語のネイティブであるためにそのような家庭環境で育った。もしくは、学校で英語の授業が必修なので習得した。筆者の場合は、単に、英語に興味があったので、幼少時より英語に触れる機会が多かったというものです。

その後、十数年の数々の努力を経て、大体ネイティブくらい、という地点までたどりつきました。

そもそも、私の中での ”ネイティブ” とは、読み書き話し聞く+文化の理解と考えております。

と言ったら筆者がすべての英語圏の文化を完全に理解しているすごい奴、になってしまいますが、

日本人、であっても日本の文化の百科事典ではないですよね?

なので、個人のレベルで、ある程度部分的な理解を得ること=文化の理解 でいいと思っています。

 

私は、この上記を達成?したときに思いました。「もうこれ以上語学は学習しない。」

確かに、英語ができたら、インターネットの使いやすさが+500%ぐらい上昇し、世界の多くの人ともコミュニケーションの懸け橋となってくれて、ある意味「最強」という印象を持っていました。

 

 

 

でも、ひょんなことから、フランス語に興味を持ち、フランスに住むことになりました。

そもそも「もうこれ以上語学は学習しない」と思うようになったのは、ただ単に、十数年の数々の努力をもう一度したくないという理由でした。

でも、これは実際間違えでした。(少なくとも、英語をマスターしたうえでフランス語を学ぶ場合)

なぜかというと、英語もフランス語もラテン語との関わりがある、という共通点があるからです。

これのおかげで、アルファベットはそのままで(アクセントを少し習得要)、いくつかの単語は、書き方がほぼ同じであったりするという、語学学習における、近道、ができたのです。

 

といっても、英語にはない、冠詞・不定冠詞のルールであったり(俗にいう名詞の性別とか)、書かれているものと実際に発音されているのものが明らかに異なる事件⁈などなど、難しい点もありますが、筆者にとっては、対処可能な難易度でした。

 

私の知っている限りでは、イタリア語、ドイツ語、スペイン語もこの類で、近道可能な第三言語、と言えます。

逆にアジア圏でいうと、中国語系の言語や、韓国語が同じようにいえると思います。

 

 

 

ここまで読んでみると、あ、第三言語簡単なんだ、って印象を持たれてしまいますが、残念ながら、簡単ではありません。

言い直すと、三か国語、同等ネイティブレベルに引き上げるのは、簡単ではありません。

その理由はまさしく「+文化の理解」によって妨げられるからです。

 

 

 

これは完全に個人の意見ですが、文化の理解は、その言語の理解なしでは不可能だからです。

一つ例に挙げてみると、今はインターネットでなんでも知識を得ることができる時代ですが、その国独特のことって、他言語で探すの実はとても大変なんです。

確かに、現地在住のライターさんだったりが、記事をあげていたりもしますが、それって、そのライターさんの目線で書かれています。また、じゃあ原語を翻訳にかけて・・・といわれるかもしれませんが、私は個人的に翻訳機信頼していません。(もし気になられる方がおられましたら、ある程度の理解できる長文を2か国語間で翻訳かけてそれを逆にしてみたりしてください、意味がかなり大胆に変わります(笑)

 

なので、上記のことより、文化の理解とは、自分の目で見た・肌で感じたことを自分なりに考えてみる、ということと解釈しています。他者を通してではできませんよね。

 

 

 

そして、ここまでお話ししたうえで、言語を学ぶ醍醐味も、この文化の理解というところにあるんではないかと考えます。

ある意味、ここまで学習を頑張った自分へご褒美的な。。。

 

 

最終的に、その言語を話す自身の人格は、その先で生まれるのではないかと思います。

 

長い言語学習、楽しみになってきましたか?

 

それでは、みなさま、良い夢を。おやすみなさい。