カントの認識論における功績は、私たちの認識が、時間と空間(おそらくは古典的時間と空間)や質や量、因果関係や相互関係などの悟性的カテゴリを通じて形成されることの限界を指摘したことではないでしょうか。
現代の私たちは相対性理論により、時間は四次元時空として理解することを知っており、私たちの認識は「古典的時間と空間」という形式を超えていますし、量子力学的な不確定性により、機械的因果関係を超える因果関係を認識するようになっています。したがって、カントがいう感性の形式や悟性のカテゴリが固定的なものではなく、私たちの認識は、カントのいう感性の形式や悟性のカテゴリを超えているということができます。しかし、それでも私たちの認識において、発展した形ではあっても四次元時空という形式や因果関係というカテゴリが必要ですし、認識がさらに発展すれば、これらの形式やカテゴリそのものも発展させなければならなくなるでしょう。
さらにカントは、時間や空間が有限なのか無限なのかに関するアンチノミを指摘し、認識が単なる受動的なものではなく、感性と悟性により能動的に構築されるものであることを指摘したことも、カントの功績として評価できると思われます。(ただし、時間と空間をア・プリオリな感性の形式だとし、「質」「量」「関係」「様相」もア・プリオリな悟性のカテゴリだとしたことは、誤りであり、これらは現実界と関わることにより経験的に習得された概念であることは指摘しておきたいと思います。)
その上で、時間と空間に関するアンチノミについて考えてみると、時間と空間の真の在り方は、「古典的な時間と空間」という認識形式にとらわれた私たちにとって、現時点では認識不能な認識形式であるように思われます。もちろん現代科学は時間と空間を相対論的四次元時空として理解しているのですが、相対論的四次元時空を明確な概念として認識することは困難なように思われます。例えば、「宇宙がビッグバンにより始まった」と言われても、それではそのエネルギはどこから来て、ビッグバンの前の宇宙はどうだったのか、という疑問がわきます。また「宇宙は拡大を続けている」といわれても、それでは宇宙の外側とはどういうことなのか、との疑問は解消しないでしょう。「宇宙は無限の昔から存在し、無限の未来まで存在する」と言われても同じです。宇宙の真の在り方は、このような疑問を無意味にしてしまうような在り方をしているのではないでしょうか。
このような疑問が尽きないのは、私たちが相対論的四次元時空の明確な認識形式を(少なくとも現時点で)持ち得ていないからと言えます。すなわち「宇宙の真の在り方」は、「古典的な時間と空間」という認識形式に限定された私達にとっての「物自体」ということができるのではないでしょうか。
カント自身は、人間の五感を通して認識する対象となっている現象の背後にある「真の実在」を「物自体」と言って知ることができないものとしています。しかし、すでに述べたように、私たちの認識はすでに古典的な感性の形式や悟性のカテゴリを超えて発展しているのです。
カントの認識論は、時代の制約の中で生まれたものであり、多くの誤りを含んでおり、カントの認識論をカントが主張したままに受け入れることはできません。したがって、その認識論における概念「物自体」をカントの考えた通りになぞってみても、あまり意味がないように思われます。
カントにおいては「物自体」とは知ることのできないものですが、相対論的四次元時空を明確な認識形式として発展させることができるようになれば、「宇宙の真の在り方」はさらに明らかにされていくでしょう。