「人間存在を超越している存在」とは何でしょうか。神でしょうか?
私たちにとっての「人間存在を超越している存在」とは「現実世界」だと思います。私たちが生きているのは現実の世界であり、現実世界は否応なく、私たちに対応を迫ってきます。現実世界は、ある時は自然であり、またある時は人間社会であり、またあるときは自分の身体であったり、自分の心の働きであったりします。
客観性というのは、現実の世界のあり方そのものを基準とすることだと思います。客観性を保証する要素は現実の世界への働きかけ、例えば、実験、観測、応用技術の実用化です。
主観を寄集めても客観的に正しいことになりません。人間の認識は、結局は主観であり、どんな理論でも完全な客観とは言えないかも知れません。しかし、その認識の正しさの基準は、現実の世界のあり方そのものであり、実験や観測により現実の世界に問いかけて検証することができます。
物事を客観的に見る方法は、一般的には、実験や観測その他現象を観察することから、仮説が作られます。つぎに仮説に基づいて、他の条件での予測がされます。予測したことを実験や観測その他現象の観察により検証することができます。予測通りの結果が出れば、仮説の信憑性は格段に高くなります。
客観的世界の基本的な法則性は昔から変わっていません。認識する主体である人間がいなかった時代にも、地球が存在したことは客観的事実として受け入れられています。
相対性理論が出現して、自然界(客観的世界)が変わったわけではありませんし、時間も空間も伸び縮みするのを見た人はいません。それでも、相対性理論もGPSの位置補正に実用的に使われており、このことは相対性理論が正しいことが日々検証されていると言えます。
しかし、相対性理論や量子論が出現したりし、それによって情報機器が発展し、生活が変わったからといって、私たち個人の現実の人生に対する態度を相対性理論や量子論によって変更する必要が迫られているわけではありません。今でも人工衛星の運動が古典力学で表現ができるように、私たちの人生における現実世界は、依然として古典的な時間と空間だと思います。