そうではないと証明することはできません。というよりも証明を拒否しているのです。問題は「水槽の中の脳」であるあなたに与えられるすべての体験が、すべて「水槽の中の脳」でない場合と同じでも成り立つという「前提」の中にあります。その前提の「すべて」には、「そうでないことを証明する証拠もすべて含まれている」のです。

 

「あなたは水槽の中の脳である」という命題は事実に関するものです。事実に関する命題は論理では証明できません(例外は「コギト命題」など自分の意識内の事実だけでしょう)。究極的に証拠で証明されなければならないのです。全ての証拠はあなたの五感経由でしか確かめることはできません。そして全ての証拠は「あなたが水槽の中の脳ではない」ことを明確にしめしています。しかし、そのあなたの五感経由の証拠を含むすべての体験で示される証拠を拒否した上で、あなたが水槽の中の脳であっても同じという前提とするのです。

 

ですから、「そうではないとあなたは、証明することはできますか?」という質問を言い換えると「すべてが全く同じで、そうでないと証明することができないとしたら、そうでないと証明できますか」というばかばかしい質問なのです。ですから「そうでないと証明することができない」のは当たり前のことです。

 

似たような思考実験に「世界五分前仮説」というものがあります。世界五分前仮説とは、「世界が5分前に始まった」と考える思考実験です。その際、あなたの身体だけでなく記憶も、地中の化石も何もかもすべて全く同じで形で5分前に始まったとします。あなたには幼かった頃の思い出もあるし、考古学者が化石を分析しても何億年前にできたとデータが出るように、5分前にすべてが創られているのです。「五分前」でも「十分前」でも同じです。

 

「世界五分前仮説」も、「すべてが全く同じで、そうでないと証明することができないとしたら、そうでないと証明できない」という当たり前のことの例であり、どのように荒唐無稽な前提に関しても成り立つのは当然のことです。

だからといって、その荒唐無稽な前提が正しいという可能性が無限に低いことは変わりません。

 

「水槽の中の脳」にしても「世界五分前仮説」にしても、また「私の意識の中にしか世界は存在しないのではないかという独我論」してももすべて同じです。最初は面白いかもしれませんが、その無意味さを理解したら、さっさと卒業しましょう。