物質は精神を持たず自然法則に従い、人間も物質からできているので、自由意志は幻想であると考えるのが唯物論で、物質が精神も自由意志も生み出す機能を潜在的に持つと考えるのは唯物論ではないのでしょうか?

私は、前者は「機械的唯物論」であり、後者は「弁証法的唯物論」ではないかと思います。

物質と精神に関して著名なJohn Searleは、意識についての自分の立場をbiological naturalism(生物学的自然主義)と称しています。そして、意識は物理的存在と同じくひとつの現実世界にあり、意識は物理的世界と存在論的に相互に因果関係を持っているとしています。

一方、意識(の内容)は存在論的に還元できないものであるとしています。この点について、彼の立場は「唯物論」とは違うと言いたいようです。(しかし、「意識は物理的世界とが存在論的に相互に因果関係を持っている」ならば、意識は「存在論的な存在」であるはずです。ただし、意識の「内容」が、物理法則などにより表現できないのは当然のことであり、このことを認めることが唯物論ではないという理屈が不明確です。)

いずれにせよ、John Searleが、意識は物理的世界と同じひとつの現実世界にあり、存在論的に相互に因果関係を持っているのであれば、物質が精神も自由意志も生み出す機能を潜在的に持つと考えているのであり、これも唯物論に分類すべきものではないかと思います。

そして、John Searleは、「唯物論」は意識も自由意志も幻想と考えていると批判しています。しかし、この批判は、心の哲学の「物理主義」に向けられているように思われます。意識を非物理的存在として、脳の物理的現象に付随するだけのもの、物理的世界に作用しないものとしており、現実に私たちが意志をもって行動していることを正しくみない立場であり、これがJohn Searleの批判する唯物論だとすれば、彼は機械的唯物論を批判しているのだと思います。