物質は精神を持たず自然法則に従い、人間も物質からできているので、自由意志は幻想であると考えるのと、物質が精神も自由意志も生み出す機能を潜在的に持つと考えるのと、あなたはどちらが科学的だと思いますか?

私は自由意志は幻想であると考えるのは科学的精神の放棄だと思います。また、自由意志は幻想であると言っている人も、自由意志があることを前提にして日常生活を送っています。要するに心底信じてはいないのです。

科学的態度は、現実をありのままに把握して、そのメカニズムを明らかにすることだと思います。また、科学は最終的に健全な常識に反するものではないはずです。したがって、科学は必然的に物質が精神も自由意志も生み出す機能を潜在的に持つと考える立場をとることになると思います。生命に関しても、昔は生命は生命からしか生まれないと思われていましたが、現在は条件が整えば、生命が生まれるであろうことは、一般に受け入れられています。人間の精神も自由意志もその延長線上にあると考えるのが、科学的な態度ではないでしょうか。

動物の進化を考えても、本能的欲求は動物を、生存に必要な行動を駆り立てるためにあるはずです。それらの本能的欲求は、状況によって取捨選択する必要があります。例えば、天敵に襲われるような状況では、食欲や性欲は抑制されるでしょうし、餓死しそうなときには、多少の危険を冒しても食べることを優先することもあるでしょう。動物の神経系統の発達は、そのような種の繁栄のために、より複雑な状況判断ができるように進化してきたのです。

ところが、精神や自由意志は幻想であるということになると、私たちの精神的合理的な思考の進化及び発展は、一切無意味なものになってしまいます。そのような進化の歴史はナンセンスでしかありません。精神や自由意志は幻想であるということは、私たち人類が設計し作られた全てのものに関して、私たちの研究や製作のための思考の努力は、現実に作られる物とは関係ないことになってしまいます。私たち人類が設計し作られたものは、私たちの精神的活動とは無関係に自然に作られていったのであり、それにも関わらず、自分たちが考えて設計して意志により行動して作ったと錯覚しているだけということになります。このような考え方が科学的な考え方であるはずがありません。

また、両立主義(Compatiblism)といって、自由意志と決定論は矛盾しないという考えもあります。実際のところ人間の自由意志とは関係なくすべては進んでいるのだが、それは私たちには自由意志があるかのように見えるのであるから、「自由意志があると考えてもよい」のだと言うのです。John Searleは、Compatiblismは、問題について何も回答していないと批判していますが、私もその通りだと思います。このような考え方が、科学的な考え方とはとても思えません。