私は哲学に答えはあると思っています。先人の言ったことを参考にして、自分でその答えを選び、さらに自分で良いものにしていくのです。
科学においては、万人が認める進歩があるのに対して、哲学では、様々な立場の哲学が入れ代わり立ち代わり現われ、答えがないように思われます。それはなぜでしょう。
それは哲学においては、万人が認める共通の基準がないからです。すなわち共通の土俵がありません。世界を説明するのに、神を中心に説明しようが、物質を中心に説明しようが、自分の意識を中心に説明しようが、自由です。ですから、それぞれが、自分の立場から他を批判するのですから、相互の批判に決着がつくことはないでしょう。
しかし、自分が正しいと思える立場に選んで、異なる立場からの批判に対して自分はどう答えるか、異なる立場の何が問題であり、自分の立場では、なぜそのような問題がないのか、などの問いに対して、自分なりに答えを見つける訓練をしていけばよいのです。そして、どう頑張っても、自分の立場の勝ち目がなさそうなことが分かれば、強い立場に乗り換えればよいのです。そして、同じように新しい立場の正しさについて、検討すればいいでしょう。
その場合に、正しさを判断するにあたって、最終的に何に頼ればよいのでしょう。私は、最終的に頼りにできるものは、①自分の理性、②現実の世界、③健全な常識ではないかと思います。
自分の考えを持つためには、自分の理性を信じなければなりません。自分は頭が良くないと言っても、自分の考えは自分で考えて採用するしかありません。また、自分で自分の考えをすべて作り上げる必要はありません。他人の言うことをいろいろ比較して良いものを採用すればよいのです。比較して良いものを選ぶためには、自分で考えなければなりません。また、いずれかを選んだ後も、常に他人の意見を聞く謙虚さを忘れてはなりません。よい考えがあれば、それによって自分の考えを補強したり、そちらに乗り替えたりすればよいのです。
次に重要なことは、私たちが生きている現実の世界です。現実の世界を無視した思想は無力です。これは「理想を捨てて現実的に生きる」という意味ではありません。「現実に根差した、現実を生きるための理想」を持たなければなりません。「祈れば天国に行ける」という教えは、「現実に根差した、現実を生きるための理想」ではありません。誰も知らない世界を語っても「想像ごっご」であり、意味がありません。哲学は現実を語れなければならないのです。また、存在や世界を語るからには、科学を知らなければなりません。科学を無視した哲学も無力です。
さらに、健全な常識に立ち返ることです。最近は「自分は存在しない」、「自由意志は存在しない」、「時間は存在しない」、「世界は存在しない」、など、センセーショナルなフレーズがあふれています。頭の良い人達が、このようなことを言ったからといって、私たちの人生が変わるわけではありません。彼らの言うことは、極端な誇張であり、私たちの人生における「自分」も「自由意志」も「時間」も「世界」も、もともとあるがままに存在しています。
哲学が始まってから2500年以上経ちましたが、昔と同じような議論をしている部分もありますが、他方では、真理とは何か、精神と身体の関係など、その議論の精緻さは昔と全く異なってきております。哲学においても、その論ずるところは、先駆者の議論を踏まえて行われますので、より洗練された内容になっております。ですから、科学ほどではないにしても、哲学もそれなりに進歩しているということができます。また、異なる立場の哲学であっても、自分の立場の考えを発展させるきっかけにもなります。