メルロ=ポンティの言っていることは難解であるが、心身問題の考え方に関して重要な示唆を与えている。彼はフッサールの現象学に身体的要素を組み込む形で現象学を発展させた。
フッサールの現象学は観念としての主観による現象学であるが、メルロ=ポンティにおいては、身体と一体の身体的実存による現象学である。身体的実存は、周りの状況と共に一つのシステムをなす世界の内に生きている。フッサールの主観による現象学においては、主観的観念論として独我論の問題が避けられないが、メルロ=ポンティの現象学では、主観と、他人を含めた世界とが、身体を媒介にして一体のものとされており、主観と客観、自己と他者の関係があいまいにされている。このことにより存在論及び認識論的もあいまいなものとなっており、その難解さの一因をなすと思われる。
もちろんメルロ=ポンティ自身はそれを克服していると考えていたかも知れないが、現象学特有の問題を克服していない。それは、主観と、他人を含めた世界とが、身体を媒介にして一体のものとされても、その主観は「私の主観」であり、その身体は「私の身体」であり、「他人を含めた世界」も私にとっての世界でしかないからである。
このような難点を認識した上で、メルロ=ポンティから学ぶべき点について考えてみよう。
心身問題はデカルト以来の難問とされている。現代においても、心の哲学において、物理的世界の因果的閉鎖性の問題として多くが論じられている。そこでは精神と物質の2つのカテゴリへの区分けがなされている。
現在の自分に至ったプロセスを振り返ってみると、私たちはいつの間にか生まれ、いつの間にか意識を持つようになった。そして、自分と他の人々との区別があること、自分から見えないところにも世界があること、身近な家族にも自分の知らない面があることにもいつの間にか気づくようになった。
生まれたばかりの時は、主観も客観もなかったし、自分と他人という観念もなかった。五感を区別することもなく、見えるものを見、聞こえるものを聞き、与えられるものを食べ、お腹が減っているのか、喉が渇いているのか、排泄物の感触がいやなのか、自分でもあまり意識することなく、泣きたいときに泣き、訳もなく身体を動かし、いつか母親の顔をみて嬉しくなったら笑顔を返すようになっていたようだ。五感に現れる全てが自分の世界として与えられていたのである。最初は、自分の身体と外の世界、自分と他人の区別、精神と身体の区別も何もなかった。そのような中から、もの心が付いたらすでに世界の内で生きており、他人と関わっており、自分という人格が形成されつつあったのである。
この私という存在は、心そのものでもないし、身体そのものでもない。メルロ=ポンティが言うように心と身体が一体となり、現実の中で世界と関わり世界の内で生きている存在である。そして、現在、精神と身体との関係、なぜ精神が、物質からなる身体を動かすことができるのだろうかという「心身問題」を考えているのである。
自分が生まれ生きてきて今の自分に至った過程を考えると、「精神」と、因果的に閉鎖された物理的世界にある「物質」(「身体」を含む)というカテゴリ分けは、いかにも現実からかけ離れた空虚な抽象である。振り返ってみると、自分という存在は、精神と物質の区別も、自分の身体と外の世界の区別もないところから、自分が形成されてきたのである。自分の心と身体は常に一体のものであったのであり、物理的世界に属する「身体」と、物理的世界に属さない「精神」などは、思春期以降に教えられた観念的に抽象された人為的概念でしかない。
精神と物質のカテゴリ分けは、現実の存在の理解のために必要な操作である。しかし、自分という存在は、精神と物質という2つの要素から組立てられたのではない。精神と身体の区別のないところから生まれて来たのである。精神と物質というカテゴリがあって、世界があるのではない。カテゴリ分けは、世界を認識するための一面を切り取った抽象的なものであり、人為的な操作である。
心も身体も同じ世界にあるのであって、心は広い意味で物理的世界における現象である。物理的世界に属する「身体」と、物理的世界に属さない「精神」を想定するところから誤っている。そのようなカテゴリ分けでは、心が身体を動かすことができないという結論に至るのは、分かり切ったことだ。このように、「物理的世界に属さない精神が、物理的世界に属する物質からなる身体を動かすことができるのは何故だろうか」という問いは、難問と言うよりも愚問なのである。
心が物理的用語で表現できない意味を持っていることは、精神が物質を動かすことができるか、という問題とは全く別の問題として考えるべきものである。また自由意志に関しても、自ら運動する物質が発展して可能になったと考えることこそ、科学的な態度と言えるだろう。
以上ののことこそ、私たちがメルロ=ポンティから学ぶべきことではないだろうか。