妹尾武治氏の「未来は決まっており、自分の意志など存在しない」(光文社新書)を読んでみた。妹尾氏は同書を「トンデモ系」で、「科学的は全く正しくない」と言いつつも「筆者が到達した心理学的な仮説。私自身は真実だと思っているその「仮説」を紹介したい」と述べている。次の文章は同書からの引用である。
「意識とはなんだろうか。私は意識とは、結局のところ「情報」であると考えている。この意識=情報仮説は、心理学決定論と非常に良い対応を見せる。…」
「私は情報そのものが意識であり、・・・。山も海も太陽光という情報を熱などの多数の情報に変換する、その意味で彼らなりに意識があると言える。010101というデジタル信号の情報を音や画像に変換するのがコンピュータであるが、彼らにもそのレベルの意識があるのだ。人間も、空気の振動を音に変換し、光の反射を画像に変換しているので同じことである。」
「全ての情報が意識であるなら、ビッグバンから意識があるといえる。人間にだけ意識があると考えるのは不自然である。意識をもし命題にすることができて、なんらかの自然法則として記述できるなら、それは人間だけにだけ成り立つ自然法則であるはずがない。万物に成立するからこその自然法則であるはずだ。であれば、やはり、情報それそのものが意識なのではないだろうか? AIにはAIの意識、山には山の意識、海には海の意識まさに曼陀羅の世界観である。」
「意識が01という情報に還元されるとすれば、意識によって生じる我々の行動もそのレベルまで還元されるといえる。どんなに我々が自分の意志や意識で選んだと思われる行動も、結局は01の情報に還元される。環境と自己との相互作用によって必然的に決まっている行動も「情報」としてみることが可能なのである。そこに自由意志による「マジカルな」「なんらかの不思議で情報に還元できない」裁量分があると考えるのは、錯覚であり、誤解なのだ。」
引用が長くなってしまったが、ご容赦願いたい。
まず「意識とは、結局のところ「情報」である」というのは正しいだろうか。妹尾氏は「情報」という言葉を「日本語大辞典第2版」の定義を引用し、その定義を前提にして議論を進めている。それらの定義とは、第1に「実情についての知らせ」、第2に「判断行動の上で必要な知識」、第3に「一定の約束に基づいて人間が数字・音声などの信号に与えた意味や内容」である。これらの定義において注目されることは、「情報」とは人間の意識を媒介として形成される内容であることである。妹尾氏は「全ての情報が意識であるなら、ビッグバンから意識があるといえる」と言っているが、そうだろうか。
ビッグバンが情報として存在したのではなく、ビッグバンを情報としてとらえるのは、我々現代の人間である。ビッグバン説が正しいとして、約140億年前のビッグバンにおいて、我々現代の人間の意識と独立して「情報」が存在していたと言えるのであろうか。ビッグバンとしての宇宙は、莫大なエネルギの塊として存在したに過ぎない。そもそもビッグバンはビッグバンそのものとして存在したのであって、情報として存在したのではない。人間のような認識する主体が情報として認識するのである。山や海が太陽光を熱などに変換するのは、物理的世界の必然的な相互作用であって、情報としてあるのではない。我々人間がそれらを情報として認識しているのである。したがって、山や海に意識があるとは言えないであろう。「全ての情報が意識である」という前提が妥当なものとは思われない。情報は人間の認識のために意識により形成され処理される観念である。そして認識された情報によって、様々な概念が形成されるのである。さらにあるものをどのような情報としてとらえるかは、観点によって異なるのであり、最初から情報として存在するのではない。情報は客観的な形で存在するわけではない。人間がどのように認識するかによって、無限の多様性を持った形で把握されるのである。
ビッグバンにそのものにおいて、情報も意識もなかった。あったのはエネルギだけである。そして敢えて言うならば、人間の意識を形成するに至る機能を宇宙は備えていたのである。
情報が寄せ集まれば意識が発生するなどということはあり得ない。小説の本には小説の内容を象徴する文字が紙の上にインクで印刷されている。どんなに感動的な小説であろうと、本そのものの中にインクで印刷された情報はあるが、感動する意識はそこにはない。小説の現実の内容さえそこにはない。人間によってその小説が読まれてこそ、その人間の意識において小説の内容が形成されるのである。感動する意識はインクで印刷された情報ではない。
したがって、情報が01という情報に還元されるとしても、意識が01という情報に還元されるということはあり得ない。妹尾氏は意識を情報に単純化しようとしているが、その試みは決して成功しているとは言えない。自由意志による「マジカルな」「なんらかの不思議で情報に還元できない」裁量分が厳然と存在し、それは、錯覚でも誤解でもない。意識を情報に単純化できると、錯覚し誤解しているのは妹尾氏自身ではないのか。