「人間の頭で勝手に作られた数学的理論が、自然科学をはじめ現実の世界の様々な分野において威力を発揮するのはなぜだろうか?」これは多くの哲学者が抱いた疑問です。カントもそのひとりです。また、虚数などという現実には関係ありそうもない数学の理論をなぜ科学に適用することができるのでしょうか。
カントは、「これまで人は、すべて私たちの認識は対象に従わなければならないと想定した。しかし、こうして私たちの認識を拡張しようとする試みはこの前提の下ではすべて潰え去ったのである。そこで、対象が私たちの認識に従わなければならないと私たちが想定することで、もっとうまくいかないかどうかを、一度試みてみたらどうだろう。」と言い、認識論にコペルニクス的転回をもたらしたと主張しています。
たしかに、数学の前提は人為的に定めたものです。自然科学に対して、そもそも人間の頭の中で創られたような数学がなぜ有効なのでしょうか。私は、この問いに対する答えは、認識形式が関わっていると思います。この点においては、カントの指摘は正しいのですが、時間と空間という形式が主観的な直観形式であるとしたことは誤りと言わざるを得ません。
人間は世界のすべてを、あるがままに把握し理解することはできません。人間が何かを認識するときは、必ず、世界の一部を、ある側面からその対象を切り取ってきて認識するのです。ニュートンは地上の物体の運動と、天体の運動とが、同様に計算できることを示しました。ニュートンは古典的な3次元の空間と古典的な時間における物体の運動だけを取り扱うモデルを考えました。これは、現実の世界の全ての物体の運動ではなく、数学的に計算可能な抽象的な世界での抽象的な物体の運動という、計算可能なモデルを考え、そのモデルに適合する微分や積分という数学手法を見つけ出したのです。すなわち、古典力学では、現実の世界にある物体の運動を、数学的に計算可能な抽象的な世界での抽象的な物体の運動という、計算可能なモデルに置き換えて、近似しているのであり、それは、現実の空間に、抽象的な3次元座標を重ねて、どれだけ現実の運動を再現できるかを試していると言うことができるでしょう。様々な現実界の現象に対して、人間が在り合わせの数学を適当にあてはめるだけでうまく行くわけではありません。また相対性理論の質量により歪む現実の4次元時空でも、観測データを踏まえた仮説に基づく数学的に計算可能な抽象的モデルあることには変わりません。ここで重要なことは、この抽象的なモデルによって、現実の運動が近似できていることです。このことは、現実の運動が数学的解析で近似できる法則性を備えていることを示しています。この現実世界が法則性を備えているからこそ、それをうまく表現できる数学的に計算可能な抽象的モデルによって近似できるのであって、「私たちの認識は対象に従わなければならない」のであって、対象を私たちの認識に従わせることはできないのです。ですから、カントのいうコペルニクス的転回は誤りと言わざるを得ません。
虚数についてはどうでしょうか。虚数は波動を関数として表すために使われています。虚数によって波動が表現できるのは、横軸に実数をとり、縦軸に虚数iをとる2次元座標とすることにより、直線の回転運動を、縦軸方向を(sin)とし、横軸方向を(cos)とする三角関数で波動を表わすことができるからです。その関数は、波を三角関数で表すことができるとともに、微分や積分に便利な関数になっています。
仮想的な虚数という概念が使用されているのは、たまたま横軸に実数をとり、縦軸に虚数iをとる2次元座標として表すことにより、抽象的な直線の回転運動を三角関数に対応させることができ、波動の計算に便利な道具になっているに過ぎません。虚数の概念が神秘的な力を持っているわけではありません。現実の現象のモデルを表現できるから使われているだけであり、現実の現象を反映できるから、科学において意味をもつことができるのです。
つまり、古典力学の世界は、頭の中で創られた架空の「物体」モデルに関して、架空の古典的時空空間モデルにおける運動を想定して数学を適用しているのです。この抽象的モデルに対して、頭の中で創られた数学がぴったりと当てはまっても少しも不思議ではありません。
そして、既成の数学理論でうまく説明できない場合は、例えば、空気抵抗や摩擦など、さらに異なる概念を追加したモデルを想定して、その研究対象にふさわしい新たな数学理論を適用してきたのです。その意味では、やはり、私たちの認識(理論)が対象に従わなければならないのです。カントが「対象が私たちの認識に従う」と言ったのは、やはり誤りと言わざるを得ないでしょう。
ニュートン力学に使われる微分や積分もそのような数学的モデルの体系での必要性に応えて作られたものです。相対性理論や量子力学などに関しても、古典力学のモデルよりも、さらに複雑な時空空間が想定されていますが、頭の中で創られた抽象的モデルに対して、数学を当てはめて近似しているという点では同じです。
ですから、我々の投げかけるカテゴリに基づいて認識しているというカントの主張は、科学的認識において、抽象的なモデルを想定してそれを当てはめているという、一面では正しいということができますが、その究極的な真理の尺度は、現実世界の説明にどれだけ適合しているかにあるのであり、「対象が私たちの認識に従う」とは言えないでしょう。現実の理論として機能するかどうかは、その抽象的なモデルが、現実の世界の一面をどこまで反映しているかによるのです。
なお、理論物理学において、まだ観測されていない理論が、計算によって発見されたりすることがありますが、これも「対象が私たちの認識に従う」のではなく、最終的には現実世界で検証されない限りは、あくまでも仮説としての意味しか持ち得ず、「私たちの認識が対象に従う」のでなければなりません。