論理的矛盾的な存在と弁証法的矛盾は関係あるのか?
自然界の現象は、あるがままに展開している。自然界に論理的矛盾が実在するのか。
量子力学は、素粒子が粒子としての性質を持つと共に、波動としての性質を持っていることを認めている。
このような量子という概念は、「粒は波動ではない」と考えていた我々にとって、同時に「粒は波動である」という量子は、論理的矛盾と同様にとらえ難いものである。
しかし、これは、人間がマクロ世界の存在であり、量子のような存在を身近に経験してこなかったから、量子のような概念を持たなかったにすぎない。これは、相対論的時空概念についても同様であり、そのような概念を持たなかったのは、光の中で視覚をもつだけで、光速に近い運動と関わることがなかったからである。
自然界の現象は、人間が名前を付ける前から、あるがままに存在していたものであり、人間が量子を論理的矛盾的存在として認識するのは、物理学という学問の枠内で、波動としてのモデルを適用するか、粒子としてのモデルを適用するかということで、生じた問題である。
このように現実世界には、有り合せの概念で表現するには、論理的矛盾となりそうな事物が存在することは認めざるを得ない。
しかし、そのような存在が実在するからといって、論理的矛盾が許されるわけではない。
「素粒子は、粒子としての性質を持つと共に、波動としての性質を持っている」という表現が認められるだけであり、恣意的に論理的矛盾が許されるわけでもないし、形式論理学が破綻したわけでもない。
粒子としての性質と波動としての性質は弁証法的矛盾か?
マクロ的な物質は、素粒子からなるが、素粒子からマクロ的物質が形成される過程において、素粒子間の相互作用により、マクロ的物質としての波動としての性質が失われていくのであるが、その過程での波動的性質の量的変化があって、波動的性質を失うと共に別の性質が生まれるであろうから、その過程を弁証法的過程と捉えることは可能かもしれない。しかし、このような形で弁証法を当てはめても得るものは少ないように思える。