存在論は、精神と物質との関係について、どちらの方が、より根源的と考えるかによって、唯物論と観念論とに分かれます。唯物論とは、「精神的なものに対して、物質的なものの方が、より根源的な存在である」という考え方で、観念論とは、「物質的なものに対して、自分の意識や神のような精神的なものの方が、より根源的な存在である」という考え方です。
唯物論でいう物質は単なる物ではない
唯物論は、精神的なものに対して物質的なものの方がより根源的な存在であり、物質的なものがあってこそ、精神が存在することができると考えます。すなわち唯物論によると、精神は物質から生まれたと考えるということです。しかし、例えば積み木をいくら複雑に組立てても精神は生まれないように、原子や分子や素粒子にしても、私たちが普通にイメージする物質が、いくら複雑に組立てられても生命も精神も生まれるようには思えません。
すなわち、唯物論の立場で考えると、私たちはそのメカニズムを充分には理解するに至っていませんが、物質は一定の複雑な構造に形成され、条件が満たされると、生命を構成するように自ら組織化していく機能を持っています。そして、更に人体の脳のように高度に組織化された状態に至ると、精神を産み出す機能を備えていると考えるのが合理的です。そうでないと、神のような存在が生命や精神を吹き込むというように考えざるを得なくなってしまいます。
上記のように考えることは、決して同語反復ではなく、精神や自由意志をありのままに理解することです。
物質はもともと潜在的に精神を生み出す機能を備えている
つまり、唯物論でいう物質とはそのような物質として考えなければなりません。素粒子はもちろん精神を持っていませんし、個々の脳細胞も精神を持っているとは言えないでしょうが、高度に組織化されると、脳を中心とする人体のような精神を産み出す潜在的な機能を持っているからこそ、条件が整えば精神を形成することができます。
精神は物理的世界の現象である
ですから、物質が物理的存在で物理的世界に存在し、精神が精神的存在で物理的世界の外にある精神的世界に存在するのではなく、精神はもともと潜在的な機能という形で、物理的世界に存在していたのであり、潜在的な本質が、生物の進化の中で現象するに至ったということになります。精神は物質的存在とは言えませんが、物理的世界に現れる現象であり、物理的世界の因果関係の中にある現象です。
心の哲学の物理主義者は、「物理的世界の因果的閉鎖性」というドグマに囚われて、意志(精神)によって、肉体が動くように感じるのは錯覚で、意識は物理的世界と因果性を持たない脳に付随する幻であるとして、物理的決定論を唱えているのは、まったく見当違いではないでしょうか。