John Searleの自由意志に関する見解は、概略次のようなものである。
 
自由意志が実現するためには、ある時点t1と後のt2の間の必然的因果関係とのgapがなければならない。そのgapを科学的に説明するための余地は、量子力学的非決定性しかない。しかし、量子力学的非決定性はランダムなものであり、自由意志の合理性を説明する役に立たない。
 
むしろ、自由意志は、脳の物質的な活動と一体のものとして生まれる幻想であって、物質界を動かす原因となるものではない。
 
この考えを広げると、自由意志に限らず、食欲、性欲、自己顕示欲など本能的な衝動に基づく行動に関しても、意識は行動の原因ではないことになる。なぜなら、人間はこれらの行動においても、自由意志が必然的に関与しているからである。
 
私たちは、本能的な衝動にまかせて行動することもできるし、本能的な衝動をコントロールして行動することもできる。自由意志の介在なしに本能的な衝動にまかせて生きることは、現実に不可能である。その場その場の状況を判断して、行動しているのである。
 
したがって、ある状況で本能に任せた行動をとったとしても、自由意志による選択がある。
 
本能的行動は、遺伝子的にプログラムされた行動である。アリやハチは役割分担までプログラムされている。彼らは、人間のような理性的な判断で行動しているのではなく、本能的な衝動のままに行動しているのであろう。つまり、それぞれの個体が遺伝子的にプログラムされた行動をとるように、それぞれの個体が本能的衝動によって操られているということができる。生殖行動は本能的行動であり、本能的衝動を伴う。
 
人間においても例外ではない。一般に男性が女性に引かれ、女性が男性に引かれて、恋愛があるのは、遺伝子的にプログラムされた本能的衝動に基づくことは否定できないであろう。本能的衝動が若い男女の恋愛の原動力になっていることは確かである。そして、様々な状況を見ながら、自分達の行動を決めていると考えるのが自然である。
 
しかし、John Searle の説が正しいとすると、どういうことになるであろうか。本能的衝動も、人間の行動の原動力ではないことにならざるを得ない。本能的衝動とも意志とも関係なく、人間の行動は自然界の因果関係(量子力学的不確定性を含めて)のもとで決まっている。自由意志と同じく、本能的衝動は脳の物質的な活動と一体のものとして生まれる幻想にすぎないことになるだろう。
 
読者は、John Searleは、自由意志が、脳の物質的な活動と一体のものとして生まれる幻想であると言っているが、本能的衝動が幻想であるとは言っていないのではないかと思うかもしれない。
 
しかし、それでは、本能的衝動は行動の原動力になっていることは幻想ではなく、自由意志により本能的衝動を抑えて行動することは幻想であるということであろうか。本能的衝動は行動の原動力になっていることが現実であるならば、その現実である本能的衝動を、自由意志により抑えて行動することも現実ということにならないであろうか。