John R. SearleFree Will as a Problem in Neuro-biologyを読んでみた。2001年のもので、彼の最新の見解と若干異なるかもしれないが、
 私が期待していたものと違っていた。
心と身体は相互排他的なものとする心身二元論を退けることはうなずけるが、結論として決定論に傾いている。
Searleは、概略次のように言う。
自由意志が実現するためには、ある時点t1と後のt2の間の必然的因果関係とのgapがなければならない。そのgapを科学的に説明するための余地は、量子力学的非決定性しかない。しかし、量子力学的非決定性はランダムなものであり、自由意志の合理性を説明する役に立たない。
むしろ、自由意志は、脳の物質的な活動と一体のものとして生まれる幻想であって、物質界を動かす原因となるものではない。
 
しかし、人間の理性は、動物の感覚や知覚から進化したもので、これらは常に、動物の行動を促すものであったはずである。人間の理性は、生存のための様々な状況に適応するするためのものであったはずである。
現在の地球のいたる所に、人類が繁殖し繁栄しているのは、人間の理性による環境への積極的働きかけができたからである。
このような人間の理性に基づく目的意識的行動を幻想とするのは、現実を正しく見ていないように思われる。
量子力学的非決定性がランダムなものであるとすることは正しいのだろうか。何ヶ月か前にNHKの番組で、量子乱数発生器を熱狂するサッカー場などへ持っていくと、通常の動作と異なる乱数になるとのことである。すなわち、人間の意識が量子の挙動に影響を与えている可能性があるのである。Searleが言うように「量子力学的非決定性はランダムなものである」とは言い切れない。その真偽及び理論的解明は、今後の科学の発展に委ねられるが、これから科学がどのように展開するか分からない。このような一例をとってもSearleは、科学的法則性を狭くとらえているように思われる。
まだ私の憶測にすぎないが、我々の意識は量子場の状態により成り立っており、意識活動は、この量子場に反作用する働きを持っているのではないだろうか。すなわち、意識的に考えることにより、量子場の状態を変えることができるから、私たちの意志により、私たちの身体が動くのではないだろうか。
 
それが可能になるのは、究極的にエネルギである物質は、量子状態においても、原始的なレベルで自発的に運動するものであり、私たちの脳において、そのような自発的な活動が高度に自己組織化されているのである。脳を含む人体は生物として外界と物質代謝を行う限りにおいて、開いた系になっているが、半ば閉じられた系を構成している。そこでは、原因が結果であると共に、結果が原因となる。そこで、物質の自発性が人間の意識から意志へと自ら変化させ、脳の量子状態を変化させる力を持ちえるのではないだろうか。