哲学的ゾンビとは、David John Chalmersが想定した概念で、ウィキペディアでは、要するに次のようなものとされている。
 
「物理的化学的電気的反応としては、普通の人間と全く同じであるが、意識(クオリア)を全く持っていない人間」と定義される。脳の神経細胞の状態まで含む、すべての観測可能な物理的状態に関して、普通の人間と区別する事が出来ないゾンビ。
 
哲学的ゾンビが存在し得るかどうかというと、私は存在し得ないと思う。哲学的ゾンビは頭の中で作り上げられた抽象的産物にすぎない。
 
哲学的ゾンビを想定するに当り、自然法則に従うのみの「物質」と、物質と相互作用のない「精神」に分けられている。そして、哲学的ゾンビはそのような「物質」からなり、魂の吹き込まれていないが自動的に動く人間の模型のようなものである。
 
他人の意識は体験できないから、他人に自分と同様の意識が存在することは体験することができない。したがって、世の中の自分以外の全ての人間が哲学的ゾンビである世界に住んでいたとしても、世の中の自分以外の全ての人間が自分と同様の意識を持っている世界に住んでいたとしても、区別がつかないと一応考えることができる。
 
現在の物理学は、哲学的ゾンビが存在しないことを証明することはできない。
そもそも物理学は、事物をありのままに捕らえているわけではない。
物理学の法則は、抽象化されたモデルに過ぎない。だからこそ、人間の頭で作り上げられた数学が適用できるのである。現実と数学的モデルは完全に一致することはなく、近似に過ぎないのである。現在の物理学の物質概念では、精神的機能は捨象されている。なぜならば、それを考慮する手段が確立されていないからである。
 
しかし、まともな科学者であれば、人間の意識が人間の身体特に脳という物質的存在によって営まれていることを否定することはできないであろう。
 
そうであるならば、意識が物質から生まれてきたことも否定できないはずである。つまり、物質は意識を生み出す機能をもともと備えているから、意識が生まれてきたのである。その機能の原始的萌芽は、素粒子の段階でも、無限小ではあっても、ゼロではないはずである。
 
人間の生と死は、明確に区切ることはできないが、心を持つ人間が死ぬとき、「脳の神経細胞の状態まで含む、すべての観測可能な物理的状態に関して、普通の人間そっくりの状態」で意識のない状態になるが、哲学的ゾンビのように、心を持つ人間と同様に振舞うことはできない。また、生から死へ移行する過程では、物質と無関係の精神が抜け出ていくのではなく、意識や精神を担う物質的基盤が損なわれていくのである。