私の理解が不充分なのかも知れないが、問題点が良くわからない。
●概要説明
このパラドックスに関するウィキペディアの概要説明は次のようなものである。
【まず、蓋のある箱を用意して、この中に猫を一匹入れる。箱の中には猫の他に、放射性物質のラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、青酸ガスを吸った猫は死ぬ。しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生き残る。一定時間経過後、果たして猫は生きているか死んでいるか。
この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定する。そして、アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊にともなって放出される。このとき、例えば箱に入れたラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率は50%だとする。この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。
我々は経験上、猫が生きている状態と猫が死んでいる状態という二つの状態を認識することができるが、このような重なりあった状態を認識することはない。
この思考実験は、ノイマン-ウィグナー理論に対する批判として、シュレーディンガーによって提出された。まず、量子力学の確率解釈を容易な方法で巨視的な実験系にすることができることを示し、そこから得られる結論の異常さを示して批判したのである。シュレーディンガーは、これをパラドックスと呼んだ。現在では「シュレーディンガーの猫」のような巨視的に量子力学の効果が現れる実験系が知られており、「シュレーディンガーの猫」は量子力学が引き起こす奇妙な現象を説明する際の例示に用いられる。】
●猫の生死は蓋を開けるまで確定しないのか?
私には極めてシンプルに思える。アルファ粒子をガイガーカウンターが感知していて、設計通り青酸ガスの発生装置が作動した時点で、猫の死は確定しており、また、アルファ粒子をガイガーカウンターが感知していなければ、猫は生きているはずで、蓋を開けて人間が確認するかどうかは関係がない。ガス発生装置は、人間の意識が介在しなくても作動するように作られているのだから。
量子力学はミクロの世界は観測されるまで確定せず、アルファ崩壊したかどうかは、観測されるまで確定しないそうだが、この実験では、ミクロの世界でアルファ崩壊してアルファ粒子が放出されたかどうかは、ガイガーカウンターにより観測されることになっている。その結果はマクロ世界のデータに翻訳され、マクロ世界において青酸ガス発生装置が作動が決定される。
したがって、マクロ世界の猫の生死に関して、ミクロ世界のような不確定性は生じようがないのではないだろうか。
●アルファ崩壊は観測するまで未確定なのか?
またミクロの世界において、一定の不確定性があるとしても、アルファ崩壊しているかどうかさえも、観測されるまで不確定なのだろうか。アルファ崩壊しているからこそ、それが観測されるのではないのだろうか。そうでなければ、何を観測しているのであろうか。ミクロの世界は確率的にしか把握できないにしても、それによって、客観的な自然界の運動が否定できるわけではない。
ミクロ世界において、マクロ世界と異なって、不確定性が大きくなることは事実であろう。しかしそれは程度の問題であり、不確定の部分があるからといって、自然界は我々の意識や観測とは無関係に厳然と運動していることを全面的に否定する根拠にはならない。自然界において人間が観測している部分は、微々たる部分でしかない。自然界の運動の片鱗にすら至らない。量子論を必要以上に神秘化することは、科学的態度ではないだろう。
●不確定性と自由意志
自由意志の根拠に関して、このところずっと考えているが、私の能力では、結論が出てこない。しかし、量子論における不確定性に自由意志との接点があるのではないかと漠然と思っている。
●概要説明
このパラドックスに関するウィキペディアの概要説明は次のようなものである。
【まず、蓋のある箱を用意して、この中に猫を一匹入れる。箱の中には猫の他に、放射性物質のラジウムを一定量と、ガイガーカウンターを1台、青酸ガスの発生装置を1台入れておく。もし、箱の中にあるラジウムがアルファ粒子を出すと、これをガイガーカウンターが感知して、その先についた青酸ガスの発生装置が作動し、青酸ガスを吸った猫は死ぬ。しかし、ラジウムからアルファ粒子が出なければ、青酸ガスの発生装置は作動せず、猫は生き残る。一定時間経過後、果たして猫は生きているか死んでいるか。
この系において、猫の生死はアルファ粒子が出たかどうかのみにより決定すると仮定する。そして、アルファ粒子は原子核のアルファ崩壊にともなって放出される。このとき、例えば箱に入れたラジウムが1時間以内にアルファ崩壊してアルファ粒子が放出される確率は50%だとする。この箱の蓋を閉めてから1時間後に蓋を開けて観測したとき、猫が生きている確率は50%、死んでいる確率も50%である。したがって、この猫は、生きている状態と死んでいる状態が1:1で重なりあっていると解釈しなければならない。
我々は経験上、猫が生きている状態と猫が死んでいる状態という二つの状態を認識することができるが、このような重なりあった状態を認識することはない。
この思考実験は、ノイマン-ウィグナー理論に対する批判として、シュレーディンガーによって提出された。まず、量子力学の確率解釈を容易な方法で巨視的な実験系にすることができることを示し、そこから得られる結論の異常さを示して批判したのである。シュレーディンガーは、これをパラドックスと呼んだ。現在では「シュレーディンガーの猫」のような巨視的に量子力学の効果が現れる実験系が知られており、「シュレーディンガーの猫」は量子力学が引き起こす奇妙な現象を説明する際の例示に用いられる。】
●猫の生死は蓋を開けるまで確定しないのか?
私には極めてシンプルに思える。アルファ粒子をガイガーカウンターが感知していて、設計通り青酸ガスの発生装置が作動した時点で、猫の死は確定しており、また、アルファ粒子をガイガーカウンターが感知していなければ、猫は生きているはずで、蓋を開けて人間が確認するかどうかは関係がない。ガス発生装置は、人間の意識が介在しなくても作動するように作られているのだから。
量子力学はミクロの世界は観測されるまで確定せず、アルファ崩壊したかどうかは、観測されるまで確定しないそうだが、この実験では、ミクロの世界でアルファ崩壊してアルファ粒子が放出されたかどうかは、ガイガーカウンターにより観測されることになっている。その結果はマクロ世界のデータに翻訳され、マクロ世界において青酸ガス発生装置が作動が決定される。
したがって、マクロ世界の猫の生死に関して、ミクロ世界のような不確定性は生じようがないのではないだろうか。
●アルファ崩壊は観測するまで未確定なのか?
またミクロの世界において、一定の不確定性があるとしても、アルファ崩壊しているかどうかさえも、観測されるまで不確定なのだろうか。アルファ崩壊しているからこそ、それが観測されるのではないのだろうか。そうでなければ、何を観測しているのであろうか。ミクロの世界は確率的にしか把握できないにしても、それによって、客観的な自然界の運動が否定できるわけではない。
ミクロ世界において、マクロ世界と異なって、不確定性が大きくなることは事実であろう。しかしそれは程度の問題であり、不確定の部分があるからといって、自然界は我々の意識や観測とは無関係に厳然と運動していることを全面的に否定する根拠にはならない。自然界において人間が観測している部分は、微々たる部分でしかない。自然界の運動の片鱗にすら至らない。量子論を必要以上に神秘化することは、科学的態度ではないだろう。
●不確定性と自由意志
自由意志の根拠に関して、このところずっと考えているが、私の能力では、結論が出てこない。しかし、量子論における不確定性に自由意志との接点があるのではないかと漠然と思っている。