心身二元論を克服するには、弁証法的なアプローチが必要である。弁証法的な認識は、現実をありのままに把握するところから始まる。
心身二元論の基本的な難点は、物理的存在である身体と、非物理的存在である精神が、どのように関わることができるかという問題を解こうとしていることである。しかし、この問題設定の時点ですでに誤っている。精神が非物理的存在であるならば、物理的存在と関わりようがないのは当然であり、そこで関わりを説明しようとするから解けない難問となるのである。
物理的存在である身体と、非物理的存在である精神とは何だろうか。身体を物理的存在とし、精神を非物理的存在とすること自体、人間が便宜的に抽象した概念に過ぎない。自らが創りあげた概念に囚われ、そのような概念を無理矢理当てはめようとして、現実をとらえることを忘れたところに、心身二元論の落とし穴がある。概念に囚われず、現実をありのままにとらえることこそ、弁証法的なアプローチである。
弁証法的なアプローチとはどのようなものだろうか。まず現実を見る。身体と精神という概念を抽象する以前に、身体と精神が一体となった自分自身が存在している。それは物理的存在である身体と、非物理的存在である精神との組合せではない。この自分自身をミクロの世界で見ると、当然素粒子から成立っている。素粒子はピンポン玉のようなものではない。中心に質量の重い原子核があって、その周りの軌道を電子が回っているという原子は、単純化されたモデルであり、現実の原子ではない。電子の運動と位置は確率的に認識されるだけである。そしてそれぞれの素粒子の間には電磁気力や様々な力が働いている。さらに重要なことは、どの粒子を見てもすべて自ら運動していることである。素粒子が単純に物理的因果関係に支配されているように見えるのは、基本法則を見いだすために、単純化された条件の下で実験が行われるからにすぎない。それぞれが自ら運動し、他と関わっているのである。現代の物理学は素粒子をピンポン玉として見ているわけではないが、精神の源となる要因を捨象して、素粒子をとらえている点では、まだその限界を超えるに至っていない。
素粒子のあり方は解明し尽くされているわけではない。これらの複雑な素粒子をめぐる複雑な状況が、人間の脳のように高度に複雑な形に組織化されることによって、精神が形成されるのである。現実の素粒子は精神のエレメントをすでに備えているものとして、把握する必要がある。私は素粒子が精神を備えているといっているのではない。精神のエレメントとは、精神を構成する機能とでも言えばよいだろうか。将来の脳科学はそのメカニズムを徐々に明らかにするであろう。
心身二元論の基本的な難点は、物理的存在である身体と、非物理的存在である精神が、どのように関わることができるかという問題を解こうとしていることである。しかし、この問題設定の時点ですでに誤っている。精神が非物理的存在であるならば、物理的存在と関わりようがないのは当然であり、そこで関わりを説明しようとするから解けない難問となるのである。
物理的存在である身体と、非物理的存在である精神とは何だろうか。身体を物理的存在とし、精神を非物理的存在とすること自体、人間が便宜的に抽象した概念に過ぎない。自らが創りあげた概念に囚われ、そのような概念を無理矢理当てはめようとして、現実をとらえることを忘れたところに、心身二元論の落とし穴がある。概念に囚われず、現実をありのままにとらえることこそ、弁証法的なアプローチである。
弁証法的なアプローチとはどのようなものだろうか。まず現実を見る。身体と精神という概念を抽象する以前に、身体と精神が一体となった自分自身が存在している。それは物理的存在である身体と、非物理的存在である精神との組合せではない。この自分自身をミクロの世界で見ると、当然素粒子から成立っている。素粒子はピンポン玉のようなものではない。中心に質量の重い原子核があって、その周りの軌道を電子が回っているという原子は、単純化されたモデルであり、現実の原子ではない。電子の運動と位置は確率的に認識されるだけである。そしてそれぞれの素粒子の間には電磁気力や様々な力が働いている。さらに重要なことは、どの粒子を見てもすべて自ら運動していることである。素粒子が単純に物理的因果関係に支配されているように見えるのは、基本法則を見いだすために、単純化された条件の下で実験が行われるからにすぎない。それぞれが自ら運動し、他と関わっているのである。現代の物理学は素粒子をピンポン玉として見ているわけではないが、精神の源となる要因を捨象して、素粒子をとらえている点では、まだその限界を超えるに至っていない。
素粒子のあり方は解明し尽くされているわけではない。これらの複雑な素粒子をめぐる複雑な状況が、人間の脳のように高度に複雑な形に組織化されることによって、精神が形成されるのである。現実の素粒子は精神のエレメントをすでに備えているものとして、把握する必要がある。私は素粒子が精神を備えているといっているのではない。精神のエレメントとは、精神を構成する機能とでも言えばよいだろうか。将来の脳科学はそのメカニズムを徐々に明らかにするであろう。