最近、突拍子もないことを考えている。しかし、わたしはすこぶる真面目に考えている。
それは、例えば、磁石で磁性体金属が引き付けられるのは、「愛ではないか?」ということだ。それは、磁石が人間のように感情を持っていて、人間と同じような愛情を持っているということではない。もちろん磁石も磁性体金属も無機物で人間と同じ感情や愛情を持つはずがない。それでも、人間の愛情に通じる、物質のもつ共通の特性の原始的な発現ではないだろうか。

このようなことを考え始めたのは、以下のようなことからだ。人間は意識を持っており、それはクオリアとして体験される。人間以外の動物についてはどうだろう。犬は明らかに意識や感情をもっているし、クオリアを持っているであろう。それでは、それらのものは、どこまで遡ることができるのだろう。魚類はどうだろう。もちろん人間のものとは異なり、もっと下等なものだろうが、おそらく、意識や感情をもっているし、クオリアを持っているだろう。単細胞生物はどうだろう。私は、単細胞生物も、さらに原始的なかたちで、意識や感情をもっているし、クオリアを持っているのではないかと思う。それでは、無生物はどうなのだろう。

意識や感情、クオリアなどは、物質が発展する過程で、ある段階まではゼロで、突如出現するものなのだろうか。もちろん、無生物から生物への発展は飛躍的なものと言うことができるであろう。しかし、その前段階に全くなかったものから、どうして現れることができるのだろう。

棒と箸を考えてみよう。2本の棒があって初めて箸として機能することができる。1本の棒は、物体を押すことはできても、挟むという機能を持っていない。2本の棒になって、挟むという機能を持つことができる。挟むという機能は、1本の棒にはない新しい機能である。しかし1本の棒のもつ「押す」という機能の延長線上に「挟む」という機能がある。意識や感情、クオリアについても似たようなことは言えないだろうか。これらは、もともと物質が備える特性や機能の延長線上にあるのではないだろうか。

我々が持つ愛情は、磁石の持つ吸引力と全く無関係のものなのだろうか。私は、磁石の持つ吸引力の遠い延長線上に愛情がつながっているのではないかと思う。