人間が何かを認識する場合、究極的に五感を介して認識する以外に方法がないことは確かです。しかし、人間にとって情報が五感を介する以外に入ってこないことから、人間の認識を五感に限定もしくは還元して考えるのは、何かしっくり来ないものを感じます。現代科学は、ミクロの素粒子から、マクロは銀河団の分布までをその対象にしています。人間はすでに、五感を超えたものを認識しているのではないでしょうか。例えば、時空概念にしても、波動性と粒子性を備えた素粒子などを感覚的に認識することはできませんが、そのようなものを学問的に認識しています。
それらの認識においては、さまざまな概念が駆使されています。宇宙を含めた世界の認識において、人間は、認識する対象を構成要素に分解して概念とし、数式なども含めて言葉で表現して、世界を言葉を介した概念によって抽象的なモデルとして再構築しているのではないかと思います。しかし、そこで認識されているのは、あくまでも人間が作った概念によるモデルであって、常に仮説であるという限界を超える事は出来ないということです。このような仮説モデルが真理であるかどうか、絶えず検証にさらされています。このことによって、概念そのものも変化発展していきます。例えば、ニュートンの時代には、「空間」と言えば、単純な三次元空間でしかなかったのですが、 現代の「空間」の概念は、さらに複雑で豊かな内容を伴っています。
抽象化された概念自体は、人間の創り上げた架空のものに過ぎませんが、そのような概念によって構築された抽象的なモデルと現実のデータの対応関係を検証し、仮説モデルを修正したり再構成することにより、絶えず現実世界のあり方を、より正確に反映する認識へと近づけられて行きます。
人間のこのような認識の広がりを考えると、人間にとって情報が五感を介する以外に入ってこないからといって、人間の認識を五感にのみ還元することはできないように思えます。人間は、その抽象力により、五感を超えた認識を現実に行っているのではないかと思います。
現代科学におけるさまざまな抽象的モデルと現実界との対応関係は、カントの言ったカテゴリと物自体の関係に似ていますが、物自体は彼岸にあるものではなく、人間の認識はその抽象力と実験などの現実世界への働きかけにより、物自体でさえをも露わにしつつあるのではないかと思います。
それらの認識においては、さまざまな概念が駆使されています。宇宙を含めた世界の認識において、人間は、認識する対象を構成要素に分解して概念とし、数式なども含めて言葉で表現して、世界を言葉を介した概念によって抽象的なモデルとして再構築しているのではないかと思います。しかし、そこで認識されているのは、あくまでも人間が作った概念によるモデルであって、常に仮説であるという限界を超える事は出来ないということです。このような仮説モデルが真理であるかどうか、絶えず検証にさらされています。このことによって、概念そのものも変化発展していきます。例えば、ニュートンの時代には、「空間」と言えば、単純な三次元空間でしかなかったのですが、 現代の「空間」の概念は、さらに複雑で豊かな内容を伴っています。
抽象化された概念自体は、人間の創り上げた架空のものに過ぎませんが、そのような概念によって構築された抽象的なモデルと現実のデータの対応関係を検証し、仮説モデルを修正したり再構成することにより、絶えず現実世界のあり方を、より正確に反映する認識へと近づけられて行きます。
人間のこのような認識の広がりを考えると、人間にとって情報が五感を介する以外に入ってこないからといって、人間の認識を五感にのみ還元することはできないように思えます。人間は、その抽象力により、五感を超えた認識を現実に行っているのではないかと思います。
現代科学におけるさまざまな抽象的モデルと現実界との対応関係は、カントの言ったカテゴリと物自体の関係に似ていますが、物自体は彼岸にあるものではなく、人間の認識はその抽象力と実験などの現実世界への働きかけにより、物自体でさえをも露わにしつつあるのではないかと思います。