◆誰にとっての善悪か
人間の本性は善なのでしょうか、それとも悪なのでしょうか。そもそも善とか悪とかは、誰にとっての善悪なのかが、問題になります。例えば、ゴキブリの立場で善悪をみると、人間とは極悪非道な生き物であるということができます。ゴキブリの姿をみて、驚いたり気持ち悪がったりするのは許せるとしても、何をしたわけでもないのに、たたきつぶしたり、殺虫スプレーをかけたりして、容赦なく殺そうとするのですから。虫も殺さぬ天使のような女性もゴキブリに対しては別のようです。
◆人間本位の価値観は誤りか
このようにゴキブリの立場から見る善悪は、私たちが見る善悪とはまったく違います。私たち人間は、人間としての善悪を考えざるを得ないのではないでしょうか。いやそうではないと、次のように言う人もいるかもしれません。「現在の環境問題をもたらしたのは、人間中心の価値観がもたらしたものである。人間中心の価値観を変えなければならない。人間の立場をはなれ、全地球的価値観に立つ必要がある。」 果たしてそうでしょうか。
それでは、環境問題なんかどうでもよい、地球に人間が住めなくなってもよい、と考えることは、人間中心の価値観なのでしょうか。私はそうは思いません。中心である人間の存在を危うくする人間中心主義などあるのでしょうか。むしろ、人間と自然が調和して住める地球にすることが、人間中心の価値観にかなっていると思います。人間と自然の調和において、人間にとって有害な生物、例えば、病原菌、病原菌を媒介する生物などは、排除するのもやむを得ないと思います(ゴキブリたちには悪いのですが)。ただし、考えるべきことは、生態系が乱れることにより、巡りめぐって人間が被害を受けることがないように配慮することが必要でしょう。
◆人間の本性の善悪
話がそれましたが、善悪を論ずる場合は、人間としての善悪を考えるべきだと言うことができます。そして人間としての善悪とは、社会的な善悪であるということです(わたしの「善悪について」の記事を参照していただけましたら幸いです)。
人間社会において、人間の本性が「善」であるとか「悪」であるということはどういうことでしょうか。人間にとって人間の本性が悪であるということは、どういう意味なのでしょうか。自分にとって自分の本性が悪であるということになると、自分にとっての自分がない方が良いことになります。どこかがおかしいのではないでしょうか。むしろ人間を価値あるものととらえ、人間の本性に基づいて、人々の調和する人間社会を築いていくことが重要なのではないでしょうか。
殺人が悪であるのは、殺人を許すことは自分が殺されることを許すことだからであり、盗むことが悪であるのは、盗みを許すことは、自分の物が盗まれることを許すことだからです。そういうことはいやだという、人々の総意があるからこそ、殺人や盗みが犯罪になったのです。
◆人間の本性が悪だから戦争があるのか
戦争は究極的に殺人行為ですが、戦争が絶えないのは、人間の本性が悪だからでしょうか。戦争の原因を人間の本性が悪であることによるという考えは、必然的に戦争を容認しています。私は、戦争をやむを得ない手段として戦争を仕掛ける一部の人々がいて、それを糾弾する総意が国際的にできていないことがひとつの問題であると思います。低開発国で紛争が絶えないのは歴史における人間社会の発展過程を考えると、簡単には解決できないかもしれません。しかし、強大な軍事力をもった大国が、自分達の一方的なやり方で、戦争をはじめたりすることに対しては、国際社会はもっと厳しく批判すべきだと思います。
人間の本性は善なのでしょうか、それとも悪なのでしょうか。そもそも善とか悪とかは、誰にとっての善悪なのかが、問題になります。例えば、ゴキブリの立場で善悪をみると、人間とは極悪非道な生き物であるということができます。ゴキブリの姿をみて、驚いたり気持ち悪がったりするのは許せるとしても、何をしたわけでもないのに、たたきつぶしたり、殺虫スプレーをかけたりして、容赦なく殺そうとするのですから。虫も殺さぬ天使のような女性もゴキブリに対しては別のようです。
◆人間本位の価値観は誤りか
このようにゴキブリの立場から見る善悪は、私たちが見る善悪とはまったく違います。私たち人間は、人間としての善悪を考えざるを得ないのではないでしょうか。いやそうではないと、次のように言う人もいるかもしれません。「現在の環境問題をもたらしたのは、人間中心の価値観がもたらしたものである。人間中心の価値観を変えなければならない。人間の立場をはなれ、全地球的価値観に立つ必要がある。」 果たしてそうでしょうか。
それでは、環境問題なんかどうでもよい、地球に人間が住めなくなってもよい、と考えることは、人間中心の価値観なのでしょうか。私はそうは思いません。中心である人間の存在を危うくする人間中心主義などあるのでしょうか。むしろ、人間と自然が調和して住める地球にすることが、人間中心の価値観にかなっていると思います。人間と自然の調和において、人間にとって有害な生物、例えば、病原菌、病原菌を媒介する生物などは、排除するのもやむを得ないと思います(ゴキブリたちには悪いのですが)。ただし、考えるべきことは、生態系が乱れることにより、巡りめぐって人間が被害を受けることがないように配慮することが必要でしょう。
◆人間の本性の善悪
話がそれましたが、善悪を論ずる場合は、人間としての善悪を考えるべきだと言うことができます。そして人間としての善悪とは、社会的な善悪であるということです(わたしの「善悪について」の記事を参照していただけましたら幸いです)。
人間社会において、人間の本性が「善」であるとか「悪」であるということはどういうことでしょうか。人間にとって人間の本性が悪であるということは、どういう意味なのでしょうか。自分にとって自分の本性が悪であるということになると、自分にとっての自分がない方が良いことになります。どこかがおかしいのではないでしょうか。むしろ人間を価値あるものととらえ、人間の本性に基づいて、人々の調和する人間社会を築いていくことが重要なのではないでしょうか。
殺人が悪であるのは、殺人を許すことは自分が殺されることを許すことだからであり、盗むことが悪であるのは、盗みを許すことは、自分の物が盗まれることを許すことだからです。そういうことはいやだという、人々の総意があるからこそ、殺人や盗みが犯罪になったのです。
◆人間の本性が悪だから戦争があるのか
戦争は究極的に殺人行為ですが、戦争が絶えないのは、人間の本性が悪だからでしょうか。戦争の原因を人間の本性が悪であることによるという考えは、必然的に戦争を容認しています。私は、戦争をやむを得ない手段として戦争を仕掛ける一部の人々がいて、それを糾弾する総意が国際的にできていないことがひとつの問題であると思います。低開発国で紛争が絶えないのは歴史における人間社会の発展過程を考えると、簡単には解決できないかもしれません。しかし、強大な軍事力をもった大国が、自分達の一方的なやり方で、戦争をはじめたりすることに対しては、国際社会はもっと厳しく批判すべきだと思います。