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のfromeatozさんのコメントに関して、書いてみました。
のfromeatozさんのコメントに関して、書いてみました。
「一般法則論式神の存在証明」を興味深く拝読させていただきました。
私のブログで「神が現実に存在するかどうかは、事実の問題であり、事実により初めて証明できるのであり、論理で証明できない。」と書きましたが、fromeatozさんの「一般法則論式神の存在証明」は、事実による証明のひとつとして説得力を持つものだと存じます。
問題点の1つとしまして、「慣性の法則」という力学的法則を根拠とされることの妥当性については、異論をとなえる方が多いのではないかと存じます。量子力学にしても相対性理論にしても、物質のあり方は、単なる物体として存在し運動しているのではないことを示しておりますし、量子的な揺らぎは、自然界の運動は、玉突きやドミノのような機械的画一的なものではないことを示しております。
また、「一般法則論式神の存在証明」でも言及されているE=mc2は、物質とエネルギーは互換性があることを示しております。すなわち自然界は、おっしゃるようにエネルギーとその法則性によって成り立っているということができます。宇宙がもともとエネルギーからなるものであるならば、そのエネルギーが活動することは、その本性と言えるのではないかと思われます。
また、「一般法則論式神の存在証明」は、ヘーゲルの世界観や歴史観とも共通するものをもっていると存じます。宇宙の誕生から地球の誕生、生命の誕生、人類の誕生、文明の誕生、市民革命、産業革命、IT革命など、歴史は宇宙も、生物も、社会も変化し発展していることを示しております。ヘーゲルは、これを神としての絶対的理念が自己展開し、歴史的にその姿を現しているのだと言っております。たしかに、宇宙をみましても、社会を見ましても、進歩し発展していることは確かです。しかし、それをもって、神の存在証明になるのかどうか、私には確信が持てません。
現代において、最大の問題は、環境問題です。これを解決するにはどうすればよいのかを考えるとします。二酸化炭素の発生を少なくすることは、緊急の課題であるといえます。二酸化炭素の発生を少なくするには、(1)現在の技術において、エネルギーを節約して消費を少なくすること、(2)二酸化炭素の発生を少なくする技術を開発すること、が考えられます。
(1)を実現することは、非常に困難です。エネルギーを消費する社会での生活に慣れた人々に節約を迫っても容易ではありません。また、現在の経済は現在のエネルギー消費によって成り立っています。結局(2)を中心に現在の社会の快適さを維持しつつ解決していくしかないように思われます。
過去の公害問題がそうであったように、結局、解決は科学の更なる発展によってこそ解決が可能になるのではないでしょうか。ここで神を持ち出すことによって、どのような解決方法があり得るのでしょう。
Fromeatozさんは【これまでの人類の営みの大部分は、創造主である神の存在を全く知らず、これ抜きの、人が勝手放題をする、もう目茶苦茶な生き方でした。 これを、リセットし、正すことが必要です。】とおっしゃっていますが、この歴史認識は妥当なものでしょうか。中世のヨーロッパは、「創造主である神の存在」という思想が支配した社会ではなかったでしょうか。いまの中東社会も同様な社会ではないでしょうか。また、中世ヨーロッパにしても今の中東社会に住む人々にしても、歴史的状況に制約された神の存在の認識を持っていたとしても仕方のないことです。Fromeatozさんと彼らとの違いは、科学に関する認識が異なることでしょう。すなわち、違いは科学的認識であり、「神の存在の認識」ではないと思います。
もし「創造主である神の存在」を知ることが、現代の科学的成果を踏まえた「創造主である神の存在」を知ることでなければならないならば、果たして現時点の科学的成果で充分なのでしょうか。科学は現時点では想像もできない、新たな側面を、将来展開するかも知れないのです。