個別と一般
私が働き始めた頃、職場に鈴木さんが二人いた。電話番をしていて、相手が「鈴木さんお願いします。」と言えば、「鈴木は二人おりますが。」と問い返すのが常識だろう。
ある日、一人の鈴木さんが休暇でいなかった。その日「鈴木さんお願いします。」と言われ、もう一人の鈴木さんしかいなかったので、私はそこにいた鈴木さんに、「鈴木さん、お電話です。」とそのまま取り次いでしまった。しかし、その電話は、休暇中の鈴木さんにかかってきたものだった。
後から考えれば、たまたま一人しか出勤していなくても「鈴木は二人おりますが。」と確認しないことの非常識は明らかだが、新米の頃にありがちな失敗だろう。
しかし、例えば、フルーツの入ったかごが手元にあって、誰かに「リンゴを取って」と言われて、かごを見ると同じ種類のリンゴが3個あったとしても、「リンゴは3つあるけど。」と、聞き返すことはないだろう。」
これは、電話の場合は、セールスの電話でなければ、「鈴木A」さんにかかってきたものであり、相手は「鈴木」さんであれば誰でも良いわけではなかったからだし、リンゴの場合は、「リンゴをとって」といった人は、「リンゴ」を食べたいのであって、3つあるうちの特に「リンゴA」を食べたいのではないからである。
現実には、このリンゴ、あのリンゴという個別しか存在しないのに、すべてを総称する「リンゴ」という名詞が存在するのは、人間にとって、リンゴは、特定のリンゴである必要がなくて、リンゴならば、どれでもよいことが多いからに他ならない。」
「リンゴ」は、ここにあるリンゴA、リンゴB、リンゴCを包含する一般概念である。
しかし、「鈴木さん」という呼称は、全国の鈴木さんを包含する一般概念ではない。互いに他人である鈴木Aさんと鈴木Bさんを特定できる限りにおいて、省略して「鈴木さん」呼んでいるにすぎない。職場においての「鈴木さん」は、それぞれ別の内容を持つ呼称が、たまたま一致しただけにすぎない。
人間をさす場合でも、「人を殺すことは悪いことだ」と言うときは、AさんまたはBさんという特定の人物を指して言っているわけではない。その発言者にとっては、仮想的に殺される人は誰でもいいのである。
「人」や「人間」という一般を表す普通名詞があるのは、状況によっては、その人が誰でもいい場合があり、それを表現するのに必要だからである。プラトンが言ったように、イデア界に完全なイデアがあり、現実界には不完全な個別が存在するのではないのである。
私が働き始めた頃、職場に鈴木さんが二人いた。電話番をしていて、相手が「鈴木さんお願いします。」と言えば、「鈴木は二人おりますが。」と問い返すのが常識だろう。
ある日、一人の鈴木さんが休暇でいなかった。その日「鈴木さんお願いします。」と言われ、もう一人の鈴木さんしかいなかったので、私はそこにいた鈴木さんに、「鈴木さん、お電話です。」とそのまま取り次いでしまった。しかし、その電話は、休暇中の鈴木さんにかかってきたものだった。
後から考えれば、たまたま一人しか出勤していなくても「鈴木は二人おりますが。」と確認しないことの非常識は明らかだが、新米の頃にありがちな失敗だろう。
しかし、例えば、フルーツの入ったかごが手元にあって、誰かに「リンゴを取って」と言われて、かごを見ると同じ種類のリンゴが3個あったとしても、「リンゴは3つあるけど。」と、聞き返すことはないだろう。」
これは、電話の場合は、セールスの電話でなければ、「鈴木A」さんにかかってきたものであり、相手は「鈴木」さんであれば誰でも良いわけではなかったからだし、リンゴの場合は、「リンゴをとって」といった人は、「リンゴ」を食べたいのであって、3つあるうちの特に「リンゴA」を食べたいのではないからである。
現実には、このリンゴ、あのリンゴという個別しか存在しないのに、すべてを総称する「リンゴ」という名詞が存在するのは、人間にとって、リンゴは、特定のリンゴである必要がなくて、リンゴならば、どれでもよいことが多いからに他ならない。」
「リンゴ」は、ここにあるリンゴA、リンゴB、リンゴCを包含する一般概念である。
しかし、「鈴木さん」という呼称は、全国の鈴木さんを包含する一般概念ではない。互いに他人である鈴木Aさんと鈴木Bさんを特定できる限りにおいて、省略して「鈴木さん」呼んでいるにすぎない。職場においての「鈴木さん」は、それぞれ別の内容を持つ呼称が、たまたま一致しただけにすぎない。
人間をさす場合でも、「人を殺すことは悪いことだ」と言うときは、AさんまたはBさんという特定の人物を指して言っているわけではない。その発言者にとっては、仮想的に殺される人は誰でもいいのである。
「人」や「人間」という一般を表す普通名詞があるのは、状況によっては、その人が誰でもいい場合があり、それを表現するのに必要だからである。プラトンが言ったように、イデア界に完全なイデアがあり、現実界には不完全な個別が存在するのではないのである。