以前に読んだ「寝ながら学べる構造主義」という本の中で、内田 樹氏は、入門者のための解説書や研究書を読むと面白い本に出会う確率が高いと言っています。私も同じように思います。また、専門的な著作ではなかなか分からない、哲学の根幹に関わる問題に関して、思想的な豊かさや貧しさが露わになることも多いように思います。

トマス・ネーゲルの「A Very Short Introduction to Pholosophy」(昭和堂 「哲学ってどんなこと?」)という本があります。目次を紹介しますと、1「はじめに」、2「どうやって私たちは何かを知るのだろうか」、3「他人の心」、4「心身問題」、5「ことばの意味」、6「自由意志」、7「正しいことと不正なこと」、8「正義」、9「死」、10「人生の意味」とあります。
どれも哲学上重要な問題であるし、私の問題意識と似ているのではないかと思って買って読んでみました。読み始めて、私の問題意識と異なることはすぐにわかりました。それなりに、面白い本でしたが、「人生の意味」という最終章の最後にある次の文を読んで唖然としてしまいました。

「もし人生が本当に重要なものでも、厳粛なものでもなく、死が人生の終着点であるならば、自分自身をそれほど真剣に考えるのは、ひょっとしてばかげているかも知れません。他方、もし私たちが自分自身を真剣に考えざるを得ないのであれば、ひょっとすると、私たちがしなければならないことは、ただ馬鹿げていることを耐え忍ぶことだけかもしれません。つまり、人生は単に無意味であるだけではなく、不条理であるかも知れないのです。」

高名な哲学者の人生観がこのように貧しいことに驚きを感ぜずにはいられません。「人生が本当に重要なもの」かどうかというような価値の問題が誰かの価値観に基づかざるを得ない以上、人間、ひいては自分を離れて、客観的真理として存在し得ないことは、当たり前のことに過ぎません。「人生は単に無意味であるだけではなく、不条理であるかも知れない」ではなく、問題は「どうすれば、人生を有意義なものと評価できるようにできるか」であるはずです。他人まかせの、客観的?価値判断を前提にすることこそ「無意味である」ことに、なぜ気がつかないのか、私には不思議で仕方がありません。