「哲学は教養か道具か?」と敢えて二者択一の回答を求められたら、私は「道具」だと答えます。

哲学というと、物事をことさら、わけのわかるようなわからないような表現をすることというような印象を持つ人が多いようです。しかし、もしそのようなものであるならば、必要ありませんし、時間の無駄でしかないでしょう。

私にとって、物事を哲学的に考えることは、常に現実を生きるために役に立っていると言うことができます。これは比喩として言っているわけではなく、正直な実感です。

もちろん哲学を学ぶためには、様々な哲学者とその学説を知ることは必要であり、それらを知ることは教養となることは確かですが、それは目的ではありません。哲学者の名前と彼らが使った学術語を羅列するのが、哲学を論ずることではありません。

様々な哲学者について知る必要があるのは、彼らが、どのように哲学上の問題に答えを与えようとしたかを知るためであり、それらを発展させて自分自身の答えを見つけ出すためです。

そして、現実の生活において、様々な問題に関して、どのようなアプローチが必要かという指針を与えてくれるものであってこそ、学ぶ意義があると思います。

もちろん、「How to」本のような意味で、役に立つものではありません。しかし、弁証法を適用して「本質と現象」「量と質」「内容と形式」「必然と偶然」「普遍と特殊」「可能性と現実性」など、様々な観点から具体的事物を分析することにより、その事物の理解と問題の解決が明らかになることは、常に経験しています。