◆意志が身体を動かすことは、自然法則に反するのか。

精神が物質に働きかけることはあり得ないと言う人々がいます。彼らは精神が物質の運動の原因になることが、あたかも自然法則に反する現象であるかのように考えているようです。しかし、手を挙げようと思えば手が挙がります。手で物を持ち上げようと思えば、持ち上げることができます。このようなことは、私たちが日常的に見ていることです。すなわち、意思(精神、意識活動)は、物質を動かす原因となっています。これが何故問題になるのでしょうか。

人間は、肉体と精神を持っており、肉体は物質からなっています。精神が物質を動かすことができないものならば、人間の身体を意思により動かすことができるはずがないことになります。
しかし、彼らも精神が、脳という肉体すなわち物質により、生じていることは認めているようです。物質により生じるのであればなぜ、物質に反作用することがあり得ないのでしょう。

◆物質は主体性を持たないのか

そもそも物質と精神とを相互作用しないのものと考えたり、一方向のみの作用として考えたりするのは、疑問です。むしろ精神の主体性は物質の特性の発現ととらえるべきではないでしょうか。主体性を持たない物質という概念は、力学の質点などと同様に、当面理解しやすいように作られた架空のモデルではないかと思います。科学においては、当面の研究の対象となる側面以外を捨象して、研究を進める研究手法とられることから、そこでは常に物質のもつ原始的主体性は、問題になることはなく、無視されてきたのであり、その結果、科学における物質観が「主体性を持たない物質」となったのではないかと思います。

◆物質が主体性を持つという根拠

物質が主体性を持っていることは、次の2点からも明らかではないでしょうか。(1) 人間の意識活動が脳の物理化学的変化により、大きく影響されることから、人間の精神すなわち意識活動は、脳という物質によって営まれていること、そして、(2) 脳という物質によって営まれている人間の精神が、主体性を有すること、の2点です。

物質の主体性は、素粒子から、化合物、単細胞生物、そして人間に至るまでの無限の階層をなしています。人間の脳のような高度に組織化された主体性から見れば、素粒子の有する原始的な主体性などというものは、ほとんどないも同然ですが、ゼロではないはずです。

◆物質の主体性の組織化の階層

物質と主体性切り離したとらえ方は、人間が物質からなることを最初から否定するものということができます。また、無生物においても、地球内部の活動、星の誕生や消滅など、宇宙は、物質のみの主体性によりダイナミックな活動をしておりますし、原子や分子も静止しているものはありません。これらは、単に自然法則にしたがって運動しているだけと、とらえるよりも、物質本来の主体性ととらえた方が良いように思われます。もちろん、これらの運動には人間の精神の主体性のようなものとは全く異なるものであることは言うまでもありません。それは人間の脳のような、物質の主体性を精神として組織化するメカニズムとは異なるものです。

◆究極の選択肢

問題は次の二つのうちのどちらを選ぶかということだと思います。

(1) 主体性を持った精神の働き(自由意志)は、自然法則に従う物質の運動によりもたらされた「幻」であり「錯覚」である。
(2) 脳で営まれる意識活動がそうであるように、精神は物質に働きかけることができる。

私は迷うことなく、(2) を選びます。 (2)は、私たちが現実に実感できることです。(1)は、私たちの実感と余りにもかけ離れたものです。意識現象は単なる脳内の物理的化学的現象の結果ではありません。私たちが意志に基づいて行動できるように、意識現象から物理的化学的現象への働きかけは、現に存在し、これらは、相互に作用しあうものです。

これらは、どちらでも成り立つというような対等の選択肢では決してないと思います。

また、上記の(1)と(2)を比較した場合、(2)よりも(1)の方が妥当であるとする根拠は何もないと思います。人間の意識活動と対応して、脳の物理的化学的変化が起こっていることを見て、あたかも(1)が証明されたように言う人々もいますが、(1)が絶対的な正しいとの確証となるような、物質についての認識は発展していません。

(1)が私たちの実感と余りにもかけ離れたものである限りは、(1)が確実に証明される必要があります。そのような確証がない以上、(2)を前提として物質をとらえるべきではないでしょうか。

◆物質の主体性の組織化のメカニズム

私たち生命体は、外部との物質代謝を行いつつ、半ば閉じたシステムを形成しております。閉じたシステムにおいては、原因も結果という因果関係も閉じていることになります。自然法則に従いつつ主体性を有する物質の原始的な主体性が、因果関係が半ば閉じたシステムである生命体、特にその脳において高度に組織化されることにより人間の意識活動が営まれています。そこでは、物理現象の結果である意識現象が、組織化された主体性により、物理現象に働きかける原因となることは充分にあり得ることだと思います。

現実に、手を挙げようと思えば手が挙がるように、精神が物質の運動の原因になっているという、日常に見ていることを、あたかも自然法則に反する現象であるかのようにとらえることは、そのスタートにおいて誤っているように思われます。

こちらの方のサイトで議論させていただいています。関心のある方は、除いてみてください。