人間は、肉体と精神を持っており、肉体は物質からなっています。手で物を持ち上げようと思えば、持ち上げることができます。このようなことは、私たちが日常的に見ていることです。すなわち、意思(精神、意識活動)は、物質を動かす原因となっています。
このような現実に対して科学的な態度とはどのようなものでしょう。自然法則に従うだけの物質を想定して、「そのような物質から、能動的な精神が生じるとは思われないから、能動的精神は錯覚である」と結論付けるのが、科学的態度なのでしょうか。
精神が物質を動かすことができないものならば、人間の身体を意思により動かすことができるはずがないことになります。しかし、「精神が物質に働きかけることはあり得ない」という前提はどこから導き出せるのでしょうか。精神が物質の運動の原因になることが、なぜ自然法則に反する現象になるのでしょう。「精神が物質に働きかけることはあり得ない」という命題は事実に関するものです。事実に関する命題は、数学の命題とは異なり、既知の知識から導き出すことはできません。事実に関する命題は、事実によって証明されなければなりません。
精神が、脳という肉体すなわち物質により影響を受け、密接に関係しているということは、精神は物質によって生じていることの証拠ということができます。しかし、精神が物質により生じるのであればなぜ、精神が物質に反作用することがあり得ないのでしょう。物質が精神に影響を与えることは、アルコール、麻薬、抗欝剤などを摂取した場合などのこれらの物質の作用からも明らかです。作用があれば反作用があるのは、初歩的な自然法則です。精神が物質により影響を受けるということは、反作用として、物質が精神の影響を受ける証拠ということができるのではないでしょうか。そして、精神が能動的に肉体(物質)に作用することは、決して自然法則と矛盾するものではありません。
科学的態度とは、主観による独断を斥け、あくまでも、現実に基づいて、現実を理性的に把握することではないでしょうか。現実を錯覚とみなすような結論を導くなど科学的態度とは無縁でしょう。
このような現実に対して科学的な態度とはどのようなものでしょう。自然法則に従うだけの物質を想定して、「そのような物質から、能動的な精神が生じるとは思われないから、能動的精神は錯覚である」と結論付けるのが、科学的態度なのでしょうか。
精神が物質を動かすことができないものならば、人間の身体を意思により動かすことができるはずがないことになります。しかし、「精神が物質に働きかけることはあり得ない」という前提はどこから導き出せるのでしょうか。精神が物質の運動の原因になることが、なぜ自然法則に反する現象になるのでしょう。「精神が物質に働きかけることはあり得ない」という命題は事実に関するものです。事実に関する命題は、数学の命題とは異なり、既知の知識から導き出すことはできません。事実に関する命題は、事実によって証明されなければなりません。
精神が、脳という肉体すなわち物質により影響を受け、密接に関係しているということは、精神は物質によって生じていることの証拠ということができます。しかし、精神が物質により生じるのであればなぜ、精神が物質に反作用することがあり得ないのでしょう。物質が精神に影響を与えることは、アルコール、麻薬、抗欝剤などを摂取した場合などのこれらの物質の作用からも明らかです。作用があれば反作用があるのは、初歩的な自然法則です。精神が物質により影響を受けるということは、反作用として、物質が精神の影響を受ける証拠ということができるのではないでしょうか。そして、精神が能動的に肉体(物質)に作用することは、決して自然法則と矛盾するものではありません。
科学的態度とは、主観による独断を斥け、あくまでも、現実に基づいて、現実を理性的に把握することではないでしょうか。現実を錯覚とみなすような結論を導くなど科学的態度とは無縁でしょう。