◆科学的理論はフィクションか
現代哲学の多くは次のような前提に基づいています。「我々の認識は、すべて感覚を通じて形成されてきたものである。それはすべて主観である。主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認することはできないから、主観と客観の一致という真理観は成立たない。科学が絶えず無限に真理に近づいていくというのは「信仰」であり、科学的な知は、ただ人間の実践の欲求が求める問題に対して因果に関する仮説の体系として説明されたフィクションにしか過ぎない。」
「我々の認識は、すべて感覚を通じて形成されてきたものである。それはすべて主観である。」というのは正しいと言うことができるでしょう。次の「主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認することはできないから、主観と客観の一致という真理観は成立たない。」というのはどうでしょう。我々は、そもそも自分の認識の正しさを確認することができるのでしょうか、できるのならば、どのようにして自分の認識の正しさを確認すればよいのでしょうか。科学的認識の発展はどのようにおこなわれているでしょうか。
◆科学的認識の発展
科学において、真理の認識のためにまず行われることは、観察や実験によるデータの収集です。そして収集されたデータが、整理され分析されます。このような観察や実験によるデータの整理分析から、帰納推理により仮説が作られます。前述のように、帰納推理は不確実なものであり、結論が正しいとは限りませんので、さらに検証が必要になります。
検証の方法としては、仮説に基づいて、今度は演繹推理により異なる特定状況の予測が行われ、その特定状況の実測データと予測データの比較が行われます。これらのデータが一致すれば仮説が正しい可能性が高まります。
新たな特定状況のデータは、多くの場合は実験により得られます。しかし宇宙に関するものなど、実験できない場合は、仮説をつくるために用いたデータとは異なる対象から得たデータを用いることもできます。この異なる対象から得たデータに関して、仮説による予測データと比較することになります。
いずれにしても、仮説に基づく予測と、実測データとの照合による検証という手続きを踏むことでは同じと言うことができます。このように、帰納推理による仮説の設定、演繹推理による予測、実測データとの比較による検証を経て、仮説は確立された理論になっていきます。
◆主観の客観への働きかけ
このように科学において、仮説の検証は、仮説による予測と、実測との比較によって行われています。仮説を検証するために「主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認する」必要はありません。また主観と客観との一致を確認するために客観を知り尽くす必要はないのです。仮説に基づいて、実験や製品開発などの何らかの行動をとることよって、問いかけると、その問いかけに対して客観的世界は「Yes」か「No」を示してくれるのです。
◆科学的真理の相対性
しかし、このような検証によっても、必ずしも絶対的真理を認識できる保証はありません。ニュートン力学は、17世紀に打ち立てられ、その真理性は揺るぎのないものと思われていましたが、20世紀になって、相対性理論や量子力学の登場により、その限界が明らかにされてきました。しかし、これはニュートン力学が誤りであったことが証明されたということではありません。ニュートン力学の限界を認識し、人間の認識が相対性理論や量子力学により、発展させられたということです。
このように、「主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認することはできない」ということを認めたとしても、そのことは「主観と客観の一致という真理観は成立たない」という結論には結びつきません。科学的認識は「主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認することはできない」ことを克服しているということができます。科学が絶えず無限に真理に近づいていくというのは「信仰」ではなく、人類の認識の「現実的な発展」です。
そもそも科学的理論をフィクションとするならば、仮説による予測に基づいて、仮説を現実に適用することが、なぜ現実に役に立つことができるのかの説明ができていないと思います。
現代哲学の多くは次のような前提に基づいています。「我々の認識は、すべて感覚を通じて形成されてきたものである。それはすべて主観である。主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認することはできないから、主観と客観の一致という真理観は成立たない。科学が絶えず無限に真理に近づいていくというのは「信仰」であり、科学的な知は、ただ人間の実践の欲求が求める問題に対して因果に関する仮説の体系として説明されたフィクションにしか過ぎない。」
「我々の認識は、すべて感覚を通じて形成されてきたものである。それはすべて主観である。」というのは正しいと言うことができるでしょう。次の「主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認することはできないから、主観と客観の一致という真理観は成立たない。」というのはどうでしょう。我々は、そもそも自分の認識の正しさを確認することができるのでしょうか、できるのならば、どのようにして自分の認識の正しさを確認すればよいのでしょうか。科学的認識の発展はどのようにおこなわれているでしょうか。
◆科学的認識の発展
科学において、真理の認識のためにまず行われることは、観察や実験によるデータの収集です。そして収集されたデータが、整理され分析されます。このような観察や実験によるデータの整理分析から、帰納推理により仮説が作られます。前述のように、帰納推理は不確実なものであり、結論が正しいとは限りませんので、さらに検証が必要になります。
検証の方法としては、仮説に基づいて、今度は演繹推理により異なる特定状況の予測が行われ、その特定状況の実測データと予測データの比較が行われます。これらのデータが一致すれば仮説が正しい可能性が高まります。
新たな特定状況のデータは、多くの場合は実験により得られます。しかし宇宙に関するものなど、実験できない場合は、仮説をつくるために用いたデータとは異なる対象から得たデータを用いることもできます。この異なる対象から得たデータに関して、仮説による予測データと比較することになります。
いずれにしても、仮説に基づく予測と、実測データとの照合による検証という手続きを踏むことでは同じと言うことができます。このように、帰納推理による仮説の設定、演繹推理による予測、実測データとの比較による検証を経て、仮説は確立された理論になっていきます。
◆主観の客観への働きかけ
このように科学において、仮説の検証は、仮説による予測と、実測との比較によって行われています。仮説を検証するために「主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認する」必要はありません。また主観と客観との一致を確認するために客観を知り尽くす必要はないのです。仮説に基づいて、実験や製品開発などの何らかの行動をとることよって、問いかけると、その問いかけに対して客観的世界は「Yes」か「No」を示してくれるのです。
◆科学的真理の相対性
しかし、このような検証によっても、必ずしも絶対的真理を認識できる保証はありません。ニュートン力学は、17世紀に打ち立てられ、その真理性は揺るぎのないものと思われていましたが、20世紀になって、相対性理論や量子力学の登場により、その限界が明らかにされてきました。しかし、これはニュートン力学が誤りであったことが証明されたということではありません。ニュートン力学の限界を認識し、人間の認識が相対性理論や量子力学により、発展させられたということです。
このように、「主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認することはできない」ということを認めたとしても、そのことは「主観と客観の一致という真理観は成立たない」という結論には結びつきません。科学的認識は「主観は自分の外に出て自分の認識の正しさを確認することはできない」ことを克服しているということができます。科学が絶えず無限に真理に近づいていくというのは「信仰」ではなく、人類の認識の「現実的な発展」です。
そもそも科学的理論をフィクションとするならば、仮説による予測に基づいて、仮説を現実に適用することが、なぜ現実に役に立つことができるのかの説明ができていないと思います。