私は、哲学において、オリジナルを読むことが必須であるという見解には疑問を持っています。もちろんある哲学者を専門に研究している研究者であれば、その哲学者のオリジナルを当然読むべきだと思います。しかし、そうでない一般の人々にとっては、「そのような暇があり、それを理解しえる基礎知識があれば」オリジナルは読まないよりは読んだ方が良いと言うことであり、それを読まないなら哲学をする意味がないとは思いません。

物理学を勉強するときに、ニュートンの「プリンキピア」を読めとか、様々な物理学者のオリジナルを読めと言うでしょうか。自分の人生や日常生活を哲学的に考えるために必要なのは、考えるための方法や知識を吸収することが必要なのであり、オリジナルを読むかどうかが問題なのではないと思います。

哲学を学ぶ上で、ある程度哲学史を学んで、哲学がどのように発展してきたかの概略を知ることは有益だと思います。その上で、特に気に入った哲学者を集中的に勉強するのは意味があると思います。解説書を読む場合は、批判的立場の解説を読むよりも、その哲学者を積極的に評価している立場の解説を、自分が批判的に読む方が、ためになると思っています。

いずれにせよ、訳も分からずに「オリジナルを読んだか」どうかが重要なのではなく、解説書ではあってもそれからあなたが「何を吸収し、どのように自分の考えを発展させたか」ということが重要だと思います。