「真理」に関して、青木書店の哲学辞典は「物事の有様について、人間の認識がその物事と一致していることを真(真理)という」と定義しています。 このように、真理の本質は、それが認識であり、客観と一致(客観を正しく反映)するものだということができるのではないかと思います。

 「事実=真理」という定式化は認識論的に問題を含んでいると思います。そもそも「真理」とは、客観すなわち外界の側のものなのか、主観の側のものなのかと言うことです。真理とはあくまでも認識であり、その認識が客観を正しく反映しているものでなければならないと思われます。客観を真理とすることは、「認識の対象」と「認識」とを混同することになります。

 また、真理が客観として存在するとすることには、問題があります。ニュートン力学を例にとると、方程式F=mαが客観的にあるのではなく、客観的に存在するのは、客観的世界の法則性であり、F=mαは、客観的世界から抽象された認識であり、それが真理であるというのは、F=mαが客観的世界のあり方に一致(正しく反映)しているということです。 「客観=真理」とするのは、客観的世界がF=mαであるというようなものであり、不適切な表現になります。

 科学において、真理に到達ためにまず行われることは、観察や実験によるデータの収集です。そして収集されたデータが、整理され分析されます。このような観察や実験によるデータの整理分析から、帰納推理により仮説が作られます。限られた事例から一般的な法則性を推理する帰納推理は不確実なものであり、結論が正しいとは限りませんので、さらに検証が必要になります。

 仮説の検証の方法としては、仮説を前提として、演繹推理により別の特定の状況に関して予測が行われます。そして、その特定の状況の実測データをとり、予測データと実測データとの比較が行われます。これらのデータが一致すれば仮説が正しい可能性が高まります。仮説による予測をこの実測データ(現実を反映する資料)と一致するかどうかが、科学的検証になるのではないかと思います。さらに検証された理論を応用した技術が確立すれば、その理論が真理であることは現実的に確定されます。