今の時代、この宗教を信じると病気が治るだとか、明からさまに言うのは、少しいかがわしい新興宗教くらいかもしれません。しかし、宗教というものは、究極的に、その宗教を信じ、なすべしとされていることをすれば、現世または死後において、超自然的な良いことがあると主張するものであり、そのような主張を含まない宗教ないのではないかと、私は思います。
宗教は、様々な効用を説いています。「偉大な神の存在や神の愛を認識することはすばらしいことだ」、「私は、この世に生を受けたことに関して、神に感謝している」、「Aさんは、非行少年だったが、神を信ずるようになってから、別人のようになった」、「神があるからこそ、人間は道徳的になることができる」などと言ったりします。これらの言葉は、「神を信じる」という意味では、宗教的であるかもしれません。しかし、このような効用は、宗教の本質的なものでしょうか。
これらの効用は、神が存在しなくても、方便としてでも神という存在を信じれば、あり得るという風に、私には思われます。これらはいずれも、考え方の問題であり、そのような考え方をすれば、そのようなこともあり得るでしょう。しかし、ここにある「神」を、「社会」や「社会の恩」などに置き換えても同じような効用があると思われます。
「偉大な神の存在や神の愛を認識することはすばらしいことだ」というのは、単なる心理的な効用です。「宇宙の驚異を知ることはすばらしい」とか「自然の驚異を知ることはすばらしい」と、いうのと同じで、ただそこに、神という不可知のいうものを、想定しただけです。
「私は、この世に生を受けたことに関して、神に感謝している」というときの神は、感謝の対象としての神です。この世に生を受けたことを、神のおかげとみなすわけです。「私は、生を受け、育ててもらったことに関して、周りの人々や社会に感謝している」と言う人もいます。神に感謝することが、社会に感謝することに勝るわけではありません。
「Aさんは、非行少年だったが、神を信ずるようになってから、別人のようになった」というのは、神という観念を想定することが、Aさんが更生するきっかけになったということであり、ここでも、信じる対象が、「神」でなくても「親の恩」や「自分の能力」であっても同じようなことは起こり得ると言えます。
宗教が宗教といえるのは、「神を信じて、祈ると、願いがかなう」「神を信じて、聖典にかいてある教えを守ったものは、神の国に行くことができる」など、超自然的な利益があるというところにあるはずです。このように考えると、新興宗教が低俗なものであり、それに対し、歴史がある宗教が勝っているとは、必ずしも言えないのではないかと思います。
宗教は、様々な効用を説いています。「偉大な神の存在や神の愛を認識することはすばらしいことだ」、「私は、この世に生を受けたことに関して、神に感謝している」、「Aさんは、非行少年だったが、神を信ずるようになってから、別人のようになった」、「神があるからこそ、人間は道徳的になることができる」などと言ったりします。これらの言葉は、「神を信じる」という意味では、宗教的であるかもしれません。しかし、このような効用は、宗教の本質的なものでしょうか。
これらの効用は、神が存在しなくても、方便としてでも神という存在を信じれば、あり得るという風に、私には思われます。これらはいずれも、考え方の問題であり、そのような考え方をすれば、そのようなこともあり得るでしょう。しかし、ここにある「神」を、「社会」や「社会の恩」などに置き換えても同じような効用があると思われます。
「偉大な神の存在や神の愛を認識することはすばらしいことだ」というのは、単なる心理的な効用です。「宇宙の驚異を知ることはすばらしい」とか「自然の驚異を知ることはすばらしい」と、いうのと同じで、ただそこに、神という不可知のいうものを、想定しただけです。
「私は、この世に生を受けたことに関して、神に感謝している」というときの神は、感謝の対象としての神です。この世に生を受けたことを、神のおかげとみなすわけです。「私は、生を受け、育ててもらったことに関して、周りの人々や社会に感謝している」と言う人もいます。神に感謝することが、社会に感謝することに勝るわけではありません。
「Aさんは、非行少年だったが、神を信ずるようになってから、別人のようになった」というのは、神という観念を想定することが、Aさんが更生するきっかけになったということであり、ここでも、信じる対象が、「神」でなくても「親の恩」や「自分の能力」であっても同じようなことは起こり得ると言えます。
宗教が宗教といえるのは、「神を信じて、祈ると、願いがかなう」「神を信じて、聖典にかいてある教えを守ったものは、神の国に行くことができる」など、超自然的な利益があるというところにあるはずです。このように考えると、新興宗教が低俗なものであり、それに対し、歴史がある宗教が勝っているとは、必ずしも言えないのではないかと思います。