スマトラ沖の地震と津波で20数万人の人命が瞬く間に奪われたことをみても、ひとりひとりの命や人生など、宇宙や自然の前では、小さく無力なものであることは言うまでもありません。このような事実に関して、人間はささやかな自衛策をとるしか、なすすべがありません。

このような事実から、人々は神という絶対的な存在を求めるのでしょうか。そして、神を信じることにより、そのような無力感や絶望感から解放されるのでしょうか。私には、そのような得体の知れない存在を仮定することで、そのような無力感や絶望感から解放されるとは思えません。

この点に関しては、私は、仏教の「諦め」が有効だと思います。諸行無常(すべては、内的原因(因)と外的原因(縁)によって現れ、因と縁が移り行くことにより、変化し続けること)、諸法無我(すべてのものには、永遠に変化しない実体はないということ)は、真理であり、それに逆らって執着するところに、不安や苦しみが生まれるという仏教の教えはそのとおりだと思います。

この不安や苦しみを断つには、真理を真理として受け止め、真理に反するこだわりを断つことです。すなわち「諦め」です。「諦め」は「明きらめ」であり、どうにもならないことを明らかにし、そのようなものに執着しないということです。「どうにもならないこと」を明らかにすることは、同時に「どうにかなること」を明らかにすることでもあります。「どうにかなること」に対して努力することが前向きに生きるということであり、それが幸福につながるものだと思います。