精神と物質がどのように関わることができるかという問題はなかなか難問です。

精神のない物質から、どのようにして精神が生まれるのかについては、原子や分子のような単純な物質でも、原始的なかたちでその萌芽となるものを備えているのではないかと、私は考えています。しかし、手を上げようとすると手が上がるように、精神は物質に働きかけることができますが、これはどうしてでしょうか。

私は、心身二元論の問題は、精神と物質を相互に関係し得ないものとして、把握するところに問題があるのではないかと思います。このような観念的で抽象的な捉え方は、現実に即したものとは言えないと思います。精神と物質は現実に関わりあっているのですから、そこからスタートする必要があると思います。

◆物質と精神の能動性(この点に関する記事をすでに読まれた方は飛ばして下さい。)

ボールや机のような物体は能動性や主体性を持っていませんが、物質はもともと能動性や主体性を持っていないのでしょうか。しかし、宇宙が大爆発(ビッグバン)で誕生して以来、物質は自らの力で運動を続けてきましたし、宇宙ではダイナミックな星の誕生や消滅がたえずくり返されています。このような運動は、誰の意志が介在することなく、物質のみによって起こっています。地球の内部を見ても、マグマが活動し続けています。

原子や素粒子の世界をみても、すべてのものは、ものすごいスピードで運動したり振動したりしており、静止しているものはほとんどありません。このような物質のあり方を見ると、物質は本来自発的に動くものだということができると思います。身の回りにある物体が能動性や主体性を持って運動することがないので、物質一般を「物体」の延長線上にある静的な受動的なものと誤解したために、受動的な「物質」という概念が生まれたのではないでしょうか。実際には静止している物体でさえ、それを形成している分子や原子を見ると運動したり振動したりしています。私たちの身の回りにある静的な机やイスなどが物質の代表ではなく、動的な原子や、星などがむしろ物質を代表するものだと思います。

物質の能動性を前提にすると人間の精神の能動性も理解しやすくなります。原子や分子などの能動性は低次の能動性であり、人間の精神の能動性は高度に組織化された能動性です。宇宙が始まって以来、活動を続けてきた物質の能動性が、複雑な過程で組織化され、進化発展してきたのであり、人間の精神はその頂点にあるものだということができます。

◆精神はなぜ物質に働きかけることができるのか

精神が物質の能動性が組織化されてきたものだとして、私たちは意志により身体を動かすことができるのはなぜでしょう。怪しげな報告はいろいろありますが、念力によって物は動きません。しかし、精神と身体の関係は、これとは分けて考える必要があります。

意志を含む人間の精神活動は、脳によって営まれています。我々の意思決定と意志が行動を起こす過程は、コンピュータ制御に似ています。コンピュータ制御において、コンピュータは、情報をプログラムにしたがって、処理し判断して、その判断に基づく信号を送ります。脳における意思決定から行動に移るメカニズムも、これと似たものということができます。我々は意志により、脳から身体を動かす信号を送り出しています。異なるのは、その情報の処理と意思決定が、コンピュータのように機械的なものではなく、精神という脳の意識活動による認識と自由意志による決断という形で行われることです。

我々の五感による情報の収集、概念の構築による認識は、ディスプレイのようなものであり、CPU(コンピュータの中枢である中央処理装置)に相当する判断をつかさどる脳の部分が、情報により情況を認識した上で、意思決定を行い、行動に移すわけです。行動に移すプロセスは、行動のための信号の発生や、スイッチの切り替えのようなメカニズムが身体の中で働くものと思われます。

このように書いていると、私が人間を機械のように考えていると思われるかも知れません。しかし、人間の意思決定と行動のメカニズムが、コンピュータ制御と似ているとしても、感情を持ち、能動性を持つことにより、人間が機械と異なることは否定しているわけではありません。機械は、自己プログラム機能を持つロボットであっても、その働きは、すべて人間が与えたものであり、受動的なものであり、人間の感情や能動性とは別のものです。

私がここで言おうとしているのは、精神が物質に働きかけるメカニズムは、原始的なモデルであるコンピュータ制御に類似しており、それ自体不思議なものではないということです。