科学は、武器に利用され、核兵器をも創り出しました。このことから、科学を平和の敵であるかのようにみなす主張もあります。

しかし、科学の世界をみてみると、論争はあっても、戦争はありません。科学という学問の世界において、暴力や武力に訴えることはありません。科学において、武力を必要としないのは、現実という究極の物差しがあるからです。現実に即して考えれば、何も恐れる必要はないし、最大の説得力を得ることができます。

科学が戦争に使われるのは、利害の対立があるからではないでしょうか。人々が争うときの背後には常に利害の対立があります。イデオロギーの違いが争いをもたらすと言われますが、イデオロギーの違いの背後には、やはり欲望と利害の対立があります。欲望を暴走させないためには、その欲望の根源を冷静に知ることであり、知ることによって、欲望が幸福をもたらすものでないことを知ることだと思います。

異なる宗教が存在するだけでは、人々は争うことはないでしょう。宗教上の大義名分によって争う場合も、宗教上の違いが、差別や経済的な格差となってていることがほとんどです。

宗教には論争があるとともに、宗教上の戦争を防ぐことができないのは、正しさを計る単一の物差しがないからでしょう。宗教のよりどころは聖典であり、聖典にないことは好きな解釈をして、違う解釈を異端だとして争います。また、それぞれの聖典を絶対視すれば、他宗教の聖典の内容と矛盾すれば、争うことになりますし、そこでの勝敗には何も基準はないのではないでしょうか。

もし、何らかの基準を持ち出すとすれば、現実世界における平和共存の道しかないのではないでしょうか。そうなると科学的な見方が必要になりますし、平和共存に反する宗教の教義はその宗派が自発的に改める必要があるでしょう。