私たちは時間と言う概念をもっていて、1年前何をしていたとか、昨日何していたという風に語ります。しかし、私が生きているのはいつも今です。1年前や昨日何をしていたというのは、暦や時間の目盛りを当てはめて、記憶のなかから起こったことを思い出して、説明しているのです。
時間の軸には、過去・現在(今)・未来がありますが、私たちが接しているのは常に「今」です。今というのはどのくらいの時間をいうのでしょうか。
私たちは、過ぎ去った過去を変えることはできません。また、未来に予定することはできますが、必ずその予定した未来が自分に与えられる保証はありません。私たちにとって本当に自由なのは「今」しかないはずです。
それでは、ある時刻において、私たちはどれだけの時間自由なのでしょうか。1分前は過去です。1分後は未来です。それでは0.1秒前は過去でしょうか。0.1秒後は未来なのでしょうか。もしこれらが過去であり未来であるなら、私たちに与えられる本当に自由な時間は殆どないに等しいと思われます。しかし、これはどこかがおかしいと思われます。
時刻というのは私たちが、便宜上使っている物差しの目盛りであり、そのような目盛りが時間にあるわけではありません。私たちは時間の流れの中で考え、時間の流れの中で行動しています。脳の指令が手足に伝わるにもわずかではあっても時間がかかっています。私たちは時間が流れる中の「今」において自由なのであり、抽象的な時間軸の一点の時刻としての「今」において自由なのではないと思います。考えるにも動作するにも、瞬間で考えたり動作することはできません。時間の流れる中で、ある程度の時間のまとまりの中で、人間は考え動作しているのです。
時間の軸には、過去・現在(今)・未来がありますが、私たちが接しているのは常に「今」です。今というのはどのくらいの時間をいうのでしょうか。
私たちは、過ぎ去った過去を変えることはできません。また、未来に予定することはできますが、必ずその予定した未来が自分に与えられる保証はありません。私たちにとって本当に自由なのは「今」しかないはずです。
それでは、ある時刻において、私たちはどれだけの時間自由なのでしょうか。1分前は過去です。1分後は未来です。それでは0.1秒前は過去でしょうか。0.1秒後は未来なのでしょうか。もしこれらが過去であり未来であるなら、私たちに与えられる本当に自由な時間は殆どないに等しいと思われます。しかし、これはどこかがおかしいと思われます。
時刻というのは私たちが、便宜上使っている物差しの目盛りであり、そのような目盛りが時間にあるわけではありません。私たちは時間の流れの中で考え、時間の流れの中で行動しています。脳の指令が手足に伝わるにもわずかではあっても時間がかかっています。私たちは時間が流れる中の「今」において自由なのであり、抽象的な時間軸の一点の時刻としての「今」において自由なのではないと思います。考えるにも動作するにも、瞬間で考えたり動作することはできません。時間の流れる中で、ある程度の時間のまとまりの中で、人間は考え動作しているのです。