神は存在するのでしょうか。そこで「存在する神」という概念を考えて見ましょう。

  「存在する神」は神でしょうか。もし神でないならば「存在する何か神ではないもの」であり、「存在する神」とは言えません。それでは「存在する神」は存在するのでしょうか。もし存在しないならば「存在する神」ではなくて「存在しない神」になってしまいますから、当然存在することになります。

  すると「存在する神」は、神であって存在するということになります。したがって、少なくとも「存在する神」という神は存在することになります。

  それでは「存在する100本足の人間」は存在するでしょうか。同じ理屈からいけば、存在することになります。何かがおかしいと思いませんか。勝手に概念を作り上げて、それに「存在する」をつければ、何でも存在することになるのです。

  何かが存在するかどうかは、論理で証明できるものでしょうか。私はそうは思いません。存在するかしないかは、事実の問題であり、事実により始めて証明できるものではないでしょうか。何か現象があって、それが神の仕業かどうか、というように証明される必要があるのです。形式論理は、事実によって証明済の知識からの推論のためのものでしかありません。

  存在を裏付ける現象があれば存在することになりますが、それがない限りは、存在は証明されないということができます。

  宇宙をみても、自然を見ても、まさに驚異としか言いようのないものを感じます。これが何らの意志も介在せずにできたとしたら、不思議といえば不思議です。これらが現象であるならば、神は存在するような気がしないでもありません。しかし、宇宙そのものが不思議ということは、神がいなければ、この宇宙のように不思議でない宇宙のはずだという前提があります。しかし、そもそもこの宇宙と異なる自然法則 をもつ宇宙というものが成り立ち得るかどうかは、はなはだ疑問です。結局「存在=現存する宇宙」なのではないかと思います。

  さらに、神がこの世にいる人間の心がけや行いを見ていて、人間を助けたり、罰したりしているか、を考えると、そのような証明となる現象はないように思われます。そのような現象があるという話はいくらでもありますが、科学的検証に耐えたものはひとつもありません。

  神は自然法則に反して、何かを起こしたりすることはないということができるのではないでしょうか。宇宙全体を神と呼ぶか物質とよぶか生命と呼ぶかは、好みの問題だと思いますが、いずれにせよ科学と矛盾するような現象はないと思います。