◆人生は生きる価値があるか

生きていればよいこともあれば悪いこともあります。時には悪いことばかりがあって、生きているのがいやになることだって、程度の差はあっても誰にでもあると思います。そもそも「人生は生きる価値があるのだろうか」との疑問もわくかもしれません。

しかし、生きる価値は誰が決めるのでしょうか。子供のころは親や先生が言ったように生きなければならないと思っていたかも知れませんが、大人になって社会に出てからも、その延長線上で生きることが、本当に自分にとって生きる価値であり幸福なのでしょうか。

◆人生の生きる価値を実感するのは自分

自分の人生を生きるのは自分でしかありません。年老いて死に面して人生を振り返り、自分の人生は生きる価値がなかったと思いながら死んでいった人の人生を、価値があったのだと他人が言っても仕方のないことです。

本人が生きる価値があったと実感してこそ、本当に価値があったのだということができます。自分の人生が、生きる価値があるかどうかは、結局自分が実感するものであって、自分以外の他人に価値を決めてもらうわけにはいかないのです。

◆なぜ人生がくだらなく思えるのか

「人生は生きる価値があるのだろうか」との疑問がわくのは、人生がくだらなく思えるということです。しかし、考えてみると、どんなにすばらしいことでも、「それがどうした」という問いを繰り返すと、くだらなくないものはないのではないでしょうか。

逆に、自分のおかれた状況がいかに恵まれたものであるかを再認識する必要があります。第一に、この世に人間として生まれたということはほとんど奇跡に近い確率の出来事です。また、世界中には、戦争や食糧難で、明日の命さえ知れない生活をしている人々がたくさんいます。日本において、餓死する心配も戦争で殺される心配もありません。人間として生まれ、ただ生きて食べていけるだけでも幸せであることからスタートすれば、人生をもっと肯定的に見ることができるのではないでしょうか。

私は、人間として生まれ、ただ生きて食べていけるだけでもありがたいと思えと言っているわけではありません。「人生がくだらない」と思うなら、人間として生まれ、ただ生きていくだけでも充分に生きる価値があり、それ以上の価値は自分で見つけ出し作り出していくものだということが言いたいのです。

◆人生に価値をみいだすこと

ですから、考えるべきことは、「人生は生きる価値があるか」どうかではなく、「人生を生きる価値があると自分が納得できるためには、どうすればいいのか」ではないでしょうか。考え方を変えるだけですべてが解決するわけではありませんが、少なくとも自分の人生を前向きに見る努力は必要です。

人生がくだらなく思えるということは、現在の状況に何か問題があるということです。それならば、少しでもその状況を改善することを考える必要があります。自分のおかれた状況を踏まえて、自分が何を望んでいるか、そして、現実的に何をすることができるか、を冷静に考えることです。そして少しでも改善することができるなら、人生はもっともっと良いものであることの証明になります。

要するに、良いものを見てもくだらないと考えることはあらゆる価値を破壊することであり、自分から人生の価値を放棄することです。何か良いものを見つけ、前向きに生きることができる見方こそ、哲学に求められるものだと思います。

 

◆人生における現実の幸福とは何か

人生において最も大切なのは日常です。災害や戦争などの災害の中で、最も恋しいのはささやかな日常ではないでしょうか。

日常の中に幸福を見出せない人は一生幸せになれないでしょう。時々美味しいものを食べたり、人と会って楽しい時を過ごしたり、ひとりで自分の好きなことをしたり、時には少し冒険してみたり、何でもよいのです。仕事や生活の中でいろいろ工夫するのもよいでしょう。書籍やネットで様々な知識を身に着けたり、できることはいくらでもあります。