
けんかの原因は、一方が馬鹿にしたことによって始まることが多いといえます。馬鹿にされたことが殺人に至ることも珍しくありません。人は嫌われることより馬鹿にされることを恐れるようです。なぜ人間は馬鹿にされることを恐れるのでしょう。
人間が馬鹿にされることを恐れるのは、人間が社会的な存在であるからだと思います。自分の内面だけで生きることができず、必然的に社会と結びつきを持たざるを得ません。また、権力欲や名誉欲などという明確な形をとらないとしても、自己顕示は人間の本能的な欲求です。このような欲求から、人間は社会での自分の位置づけを気にするのでしょう。馬鹿にされたということは、自分の位置づけが自分が思うよりも低いことを意識させられたということです。
人の評価というものは当てになりません。特に個人による評価などまちまちです。雑誌などで見られる人気者ベスト10と嫌われ者ベスト10の多くが一致していたりするのは、好んでくれる人がいれば、それに見合って嫌う人も増えるということです。したがって、他人が何を言うかではなく、自分の価値観をもって、自分を位置づけることが必要です。
◆馬鹿にされて何が変わるのか
ある人があなたを馬鹿にすることを言った場合を考えましょう。その人の言動の前後で、何が変わったのでしょう。あなたが突然馬鹿になったわけではありません。唯一変わったのは、その人が馬鹿にした言動をした事実をあなたが目撃したということだけです。基本的には自分自身も世界も何も変わっていません。馬鹿にした言動も、「売り言葉に買い言葉」であることもよくあります。けんかが始まるときには、相手も同じように傷ついていることが多いのです。その場合は馬鹿にされた事実そのものが単なる成り行きにすぎません。
一方、相手が日頃から思っていたことを言った場合もあるでしょう。この場合も元々相手が思っていたのであり、馬鹿にされた前後で変わったわけではありません。こう考えると、馬鹿にされたとしても、馬鹿にされた事実そのものは取るに足らないことではないでしょうか。
問題は、その人の言葉が、根も葉もないものであれば、自分自身傷つくことがないはずだと言うことです。多くの場合は、自分が気にしていることで、触れられたくないことに触れるものだから傷つくのでしょう。これは自分の弱点だということができます。大切なことは、この自分の弱点を普段から弱点として意識しておくことです。
◆強くなるための努力
その弱点がもし克服可能なものであるならば、克服するために努力することが、前向きな生き方でしょう。一方、その弱点が現実的に克服することが難しいものであったり、自分自身に克服するだけの意欲や気力がないような場合は、その弱点を弱点として受け入れ、そのことに対して、しっかりした自分の考えをもつことです。そうすれば、他人に指摘されても傷つくことも少ないはずですし、弱点を指摘されることを恐れる必要もなくなります。
他人に傷つけられまいと逃げていては、強くなれません。人生において大切なことは、自分に見切りをつけないことではないかと思います。自分のあるがままに自信を持つべきですし、自分が至らないと感ずるところがあれば、それを補う努力をすることが必要です。前向きに生きようとしても、挫折することや絶望することもあります。しかし、挫折してこそ立ち直る強さが育つのですし、挫折や絶望を知らない人は、人生の重要な部分を欠いているということができます。
今の世の中、どう転んでも餓死することはありません。世の中には、災害や事故、犯罪に巻き込まれて、あっけなく命を奪われる人々が数えきれません。そのようなことを考えれば、生きていけるだけでも幸せであり、そのように考えれば何も恐れる必要はないのではないでしょうか。自分に与えられた命を大切にして、与えられた状況の中で前向きに生きればよいのではないでしょうか。