◆人生は生きる価値があるか?
生きていればよいこともあれば悪いこともあります。時には悪いことばかりがあって、生きているのがいやになることだって、程度の差はあっても誰にでもあると思います。そもそも人生は生きる価値があるものなのだろうかと疑問もわくかもしれません。
しかし、生きる価値は誰が決めるのでしょうか。子供のころは親や先生が言ったように生きなければならないと思っていたかも知れませんが、大人になって社会に出てからも、その延長線上で生きることが、本当に自分の生きる価値で幸福なのでしょうか。
◆人生の生きる価値を決めるのは自分
自分の人生を生きるのは自分でしかありませんから、自分の人生が、生きる価値があるかどうかは、自分が決めるものであって、自分以外の他人に価値を決めてもらうわけにはいかないはずです。
「人生は生きる価値があるかどうか」の答えは、「価値がある」か「価値がない」です。
◆なぜ人生が下らなく思えるのか
「価値がない」なら後の人生は「下らない。下らない」と思って過ごすということです。どんなにすばらしいことでも、「それがどうした」という問いを繰り返すと、下らなくないものはないでしょう。しかし、すべてが下らないと思えても、「それがどうした」というのでしょう。くだらないと思えば、すべてが下らなくなることはわかりきったことです。でもそんなことでも真剣に考えたくなるのは、もともと人生が下らないものではないからだと思います。
◆人生に価値をみいだすこと
「価値がある」なら、そもそもなぜ「人生は生きる価値があるかどうか」という疑問がわいて来たのかが問題です。自分で決めるべきものなのに、分からないということだからです。くだらないと思えば、すべてが下らなくなるのと同様に、何が価値かわからず価値があるとは思えないでしょう。ですから、考えるべきことは、「人生は生きる価値があるか」どうかではなく、「人生を生きる価値があると自分が納得できるためには、どうすればいいのか」ではないでしょうか。
哲学も学問です。学問は本来人間の幸福のためにあるはずです。人生が下らないとわかったら幸福になれるのでしょうか。良いものを見ても下らないと考えることはあらゆる価値を破壊することであり、自分から人生の価値を放棄することです。何か良いものを見つけることができる見方こそ、哲学に求められるものだと思います。
生きていればよいこともあれば悪いこともあります。時には悪いことばかりがあって、生きているのがいやになることだって、程度の差はあっても誰にでもあると思います。そもそも人生は生きる価値があるものなのだろうかと疑問もわくかもしれません。
しかし、生きる価値は誰が決めるのでしょうか。子供のころは親や先生が言ったように生きなければならないと思っていたかも知れませんが、大人になって社会に出てからも、その延長線上で生きることが、本当に自分の生きる価値で幸福なのでしょうか。
◆人生の生きる価値を決めるのは自分
自分の人生を生きるのは自分でしかありませんから、自分の人生が、生きる価値があるかどうかは、自分が決めるものであって、自分以外の他人に価値を決めてもらうわけにはいかないはずです。
「人生は生きる価値があるかどうか」の答えは、「価値がある」か「価値がない」です。
◆なぜ人生が下らなく思えるのか
「価値がない」なら後の人生は「下らない。下らない」と思って過ごすということです。どんなにすばらしいことでも、「それがどうした」という問いを繰り返すと、下らなくないものはないでしょう。しかし、すべてが下らないと思えても、「それがどうした」というのでしょう。くだらないと思えば、すべてが下らなくなることはわかりきったことです。でもそんなことでも真剣に考えたくなるのは、もともと人生が下らないものではないからだと思います。
◆人生に価値をみいだすこと
「価値がある」なら、そもそもなぜ「人生は生きる価値があるかどうか」という疑問がわいて来たのかが問題です。自分で決めるべきものなのに、分からないということだからです。くだらないと思えば、すべてが下らなくなるのと同様に、何が価値かわからず価値があるとは思えないでしょう。ですから、考えるべきことは、「人生は生きる価値があるか」どうかではなく、「人生を生きる価値があると自分が納得できるためには、どうすればいいのか」ではないでしょうか。
哲学も学問です。学問は本来人間の幸福のためにあるはずです。人生が下らないとわかったら幸福になれるのでしょうか。良いものを見ても下らないと考えることはあらゆる価値を破壊することであり、自分から人生の価値を放棄することです。何か良いものを見つけることができる見方こそ、哲学に求められるものだと思います。