◆一時の運の良し悪しと人生
運の良い人と、運の悪い人がいます。大きな事故や災害で多数の死傷者が出たときに、ある人はいつもそこにいたのに、たまたまそこにいなくて助かったという運の良い人、その災害の場所に初めてたまたま行って災いにあった運の悪い人が、必ずあります。同時多発テロの時にたまたまニューヨークのワールド・トレード・センターにたまたま行った人、スマトラ沖地震の時にたまたまプーケット島を訪れた人、些細なきっかけが人生を分けるのです。
◆運の良し悪しの意味
このような些細なことで、人の命が左右されるのは、不合理だし不公平だと思われるでしょう。しかしそれが事故や災害です。人によっては、なぜこのようなことが起こるのかの意味を求めます。しかし、偶然の結果がどんなに重大な結果をもたらすものであったとしても、偶然に意味はありません。
簡単な例で説明しましょう。サイコロの「1」の目が運の「良い」数字で、「6」の目が運の「悪い」数字だとします。サイコロの目はどれも6分の1の確率です。しかし、それぞれの目がいつ出てくるかはわかりませんし、そのばらつきそのものに意味はありません。あるときは「1」の目が続いて出てくるでしょう。それが運の良いときに対応します。また、あるときは「6」の目が続くこともあるでしょう。それが運の悪いときに対応します。このようなばらつきは、偶然にはつきものですから、運の良し悪しは現実にあります。これは結果として、偶然のばらつきの、良い部分を運が良いとよび、悪い部分を運が悪いとよんでいるだけです。
災害にたまたま居合わせた人は、何か意味があってその場所に引き寄せられたのでもなく、たまたまそのような巡り合わせになってしまったとしかいうことができません。このような運不運はあとになって、決まることですから、予め避けることも不可能です。
事故や災害にあうと、誰しもなぜ自分が?なぜあの人が?と思うでしょうが、偶然に「なぜ」はありません。サイコロをふって、なぜ今「1」の目が?なぜ次に「3」が?と考えるのと同じです。サイコロの6つの目は同じ6分の1でも、1回につきどれかひとつの目しかでることができません。また偶然ではどの順番で出るかに意味はありません。
◆運の良し悪しに対して何ができるか
事故や災害にあうことを避けるにはどうしたらよいのでしょうか。危うく難を逃れた運の良い人が信心していた人であれば、神が助けてくれたと思い、より一層熱心な信者になるかもしれません。しかし、スマトラ沖地震で死亡した20万人余りの人々をはじめ災害で犠牲になった人々には信心深い人もたくさんいたでしょう。彼らは、なぜ神に助けてもらえなかったのでしょう。自分がたまたま助かったことと神を結びつけるよりも、神が奪った犠牲の大きさに目を向けるべきではないでしょうか。
災害に対して人間には何ができるのでしょう。すでに起こってしまった災害に関しては、何もすることはできません。せめてできることは、災害の後に残された人々を支援することだけです。将来に向かっては、数多くの課題が与えられたと言えるでしょう。重要なことは災害による被害の確率を下げ、救助できる確率を向上させることです。
テロに対しては、セキュリティ対策の強化、政治的宗教的対立の克服など、自然災害に対しては、予知システムの開発と広報体制、救助及び支援体制の整備などが考えられます。航空機の墜落事故や脱線事故などは、機体の性能の向上だけでなく、運行管理をはじめ、人的ミスが事故につながらないような技術開発など、数え上げれば切りがないでしょう。私はどれに関しても素人ですので、表面的な対策しか思いつきませんが、いくらでもあるはずです。
科学技術が発展しても事故や災害が完全になくなることはないでしょう。しかし、人間の努力によって、犠牲者の出る確率や犠牲者の数を少なくすることはできます。科学的に犠牲者を減らす努力をすれば、悲劇は確実に減らすことができるのです。
運の良い人と、運の悪い人がいます。大きな事故や災害で多数の死傷者が出たときに、ある人はいつもそこにいたのに、たまたまそこにいなくて助かったという運の良い人、その災害の場所に初めてたまたま行って災いにあった運の悪い人が、必ずあります。同時多発テロの時にたまたまニューヨークのワールド・トレード・センターにたまたま行った人、スマトラ沖地震の時にたまたまプーケット島を訪れた人、些細なきっかけが人生を分けるのです。
◆運の良し悪しの意味
このような些細なことで、人の命が左右されるのは、不合理だし不公平だと思われるでしょう。しかしそれが事故や災害です。人によっては、なぜこのようなことが起こるのかの意味を求めます。しかし、偶然の結果がどんなに重大な結果をもたらすものであったとしても、偶然に意味はありません。
簡単な例で説明しましょう。サイコロの「1」の目が運の「良い」数字で、「6」の目が運の「悪い」数字だとします。サイコロの目はどれも6分の1の確率です。しかし、それぞれの目がいつ出てくるかはわかりませんし、そのばらつきそのものに意味はありません。あるときは「1」の目が続いて出てくるでしょう。それが運の良いときに対応します。また、あるときは「6」の目が続くこともあるでしょう。それが運の悪いときに対応します。このようなばらつきは、偶然にはつきものですから、運の良し悪しは現実にあります。これは結果として、偶然のばらつきの、良い部分を運が良いとよび、悪い部分を運が悪いとよんでいるだけです。
災害にたまたま居合わせた人は、何か意味があってその場所に引き寄せられたのでもなく、たまたまそのような巡り合わせになってしまったとしかいうことができません。このような運不運はあとになって、決まることですから、予め避けることも不可能です。
事故や災害にあうと、誰しもなぜ自分が?なぜあの人が?と思うでしょうが、偶然に「なぜ」はありません。サイコロをふって、なぜ今「1」の目が?なぜ次に「3」が?と考えるのと同じです。サイコロの6つの目は同じ6分の1でも、1回につきどれかひとつの目しかでることができません。また偶然ではどの順番で出るかに意味はありません。
◆運の良し悪しに対して何ができるか
事故や災害にあうことを避けるにはどうしたらよいのでしょうか。危うく難を逃れた運の良い人が信心していた人であれば、神が助けてくれたと思い、より一層熱心な信者になるかもしれません。しかし、スマトラ沖地震で死亡した20万人余りの人々をはじめ災害で犠牲になった人々には信心深い人もたくさんいたでしょう。彼らは、なぜ神に助けてもらえなかったのでしょう。自分がたまたま助かったことと神を結びつけるよりも、神が奪った犠牲の大きさに目を向けるべきではないでしょうか。
災害に対して人間には何ができるのでしょう。すでに起こってしまった災害に関しては、何もすることはできません。せめてできることは、災害の後に残された人々を支援することだけです。将来に向かっては、数多くの課題が与えられたと言えるでしょう。重要なことは災害による被害の確率を下げ、救助できる確率を向上させることです。
テロに対しては、セキュリティ対策の強化、政治的宗教的対立の克服など、自然災害に対しては、予知システムの開発と広報体制、救助及び支援体制の整備などが考えられます。航空機の墜落事故や脱線事故などは、機体の性能の向上だけでなく、運行管理をはじめ、人的ミスが事故につながらないような技術開発など、数え上げれば切りがないでしょう。私はどれに関しても素人ですので、表面的な対策しか思いつきませんが、いくらでもあるはずです。
科学技術が発展しても事故や災害が完全になくなることはないでしょう。しかし、人間の努力によって、犠牲者の出る確率や犠牲者の数を少なくすることはできます。科学的に犠牲者を減らす努力をすれば、悲劇は確実に減らすことができるのです。