もしエジソンが子供の頃に死んでしまったら、電球はいまだにないのでしょうか。彼の発明した電球や蓄音機は歴史のなかからすっぽりなくなるのでしょうか。私は、そうは思いません。仮にエジソンという個人がいなかったとしても、エジソンが発明した時期より少し遅れて誰か他の人が電球も蓄音機も発明したと思います。

◆発明は社会的状況において創られる

発明は人間がするものですが、その発明は、空白の空間でなされるのではなく、発明者が生まれ育った過程で蓄積した知識に基づいて、その時代の社会において、なされます。発明は、社会がどのような物を必要としているかを認識することから始まりますが、このような社会の潜在的需要は、社会のありかたをそのまま反映しています。また、必要とされる製品を作るために、どのような技術を使うことができるかは、その時代の社会の技術レベルにより決まってきます。そして、そのような社会の潜在的需要と、それを実現する技術レベルがあれば、発明が生まれるのは必然的であるということができます。そのような意味では、発明は、人を媒介としてその社会によって作られているということができるのではないでしょうか。

しかし、このように言うことはエジソンの功績を矮小化するものではありません。また、発明者が努力しなくても発明が生まれるということでもありません。エジソンが天才であり、彼が言ったように99%の汗と1%のひらめきにより、数多くの発明を世に送り出し、社会に貢献したことはまぎれようのない事実です。それと同時に、そのような発明をするために努力する人が社会には必ず出てくるということも確かです。電球や蓄音機など彼の発明した物だけが抜けた、いびつな形で社会が進んだということはあり得ないでしょう。

◆歴史上の人物がいなかったら

少し話が変わりますが、歴史上の指導者が子供の頃に死んでしまっていたら、歴史は全く変わったかという問題も考えて見ましょう。

歴史を見る上では、個別的事件と、社会体制の変遷という二つの側面があり、これらを区別して考えることが重要です。歴史上象徴的な個別的事件は、それぞれが様々な要素や偶然が複雑に絡み合っています。したがって、それらの事件に直接大きく関わった人物が、もしいなければ、事件の現れ方は全く異なっていたということができるでしょう。

これに対して、封建社会から近代市民社会への移行のような社会体制の変化は、個別的事件のような偶然性に支配されているわけではありません。商工業の発展により中産市民階級が台頭して勢力を拡大していく一方、貴族階級の勢力が衰えていくという社会状況の中で、封建制度が崩壊していくのは必然的なものです。

したがって、ヨーロッパで、絶対王政の封建制度を倒し近代市民社会を築いた市民革命の指導者達の何人かが、いなかったとしても、封建制度から近代市民社会への移行という流れは変わらなかったといえます。イギリスの清教徒革命を指導したクロムウェルや、フランス革命を指導したロベスピエールなどがいなかったら、革命の時期や革命の進み方は違ったかもしれません。しかしいずれにしても、イギリスやフランスでいまだに封建体制が温存されているということはあり得ないでしょう。