◆世界は同時代を生きているのか

よその国で公開処刑が行われたりすると、「現代において、なんと野蛮なことだろう、時代錯誤もはなはだしい。」というような意見を聞くことがあります。このような意見は、どこの国の人々も同じ時代を生きているという思い込みがあるように思います。しかし、そうなのでしょうか。確かに、暦の違いはあるかもしれませんが、現在西暦2005年という同時期に生きていることは間違いありません。しかし、すべての人々が先進国の人々の考える現在の時代を生きているかということについては、疑問があります。

◆社会の発展と人々の意識

社会は一般に、封建制度から、市民社会に移行し、資本主義の発達の中で、個人としての意識や民主主義も成長してきました。この過程は、資本主義の発達による物質的豊かさに支えられた人々の意識の発展があります。今の先進諸国においても、歴史を振り返ると、絞首刑やギロチンの公開処刑は、近代まで、どこにでもあったということができます。日本でも大昔から明治の初期まで、公開で斬首やさらし首が行われていたのです。政府にとっては犯罪に対する見せしめであり、庶民にとっては恐いもの見たさの見物であったのでしょう。

先進国の人々と同じような個人としての意識や民主主義意識が普及するには、先進国と同じような物質的基盤が必要でしょう。貧しい生活や教育のもとで、先進国の人々と同じ意識が根付くはずがありません。

◆キリスト教とイスラム教

人々の意識において宗教の影響を無視することはできません。最近のテロの問題など、キリスト教とイスラム教との対立があることは確かです。しかし、先進国でキリスト教徒が多く、中東の発展途上国でイスラム教徒が多いことから、キリスト教がイスラム教に対して優れているということではありません。

イスラム圏はかつてキリスト教圏よりも進んでいた時代もありました。ルネサンスの頃までは、イスラム圏では科学技術もキリスト教圏よりも発展していました。今でもアラビア数字が使われているのは、かつてイスラム圏のほうが学問が進んでいた名残りです。キリスト教も昔から、現代社会と共存できる今のようなキリスト教であったのではなく、異端裁判や魔女裁判などの暗い歴史を持っています。

◆イスラム教の功罪

コーランに書かれたことは、コーランができた時代においては、非常に進歩的な内容を含んでいたのであり、その後イスラム圏が栄えたのは、そのことも大いに影響したと思われます。しかし、コーランに書かれた生活の隅々にまでいたる細かい教えは昔と同じく人々を拘束し、現在では逆に発展の足枷となっているのではないかと思われます。

いずれにせよ、先進国の人々とは異なり、中東に住む一般の人々は、物質的にも貧しい人々も多く、科学技術よりもイスラムの教えに深く関わって生活しているのですから、先進国の人々とはまったく異なった時代意識を持っているのではないかと思います。したがって、先進国の現代の民主主義を植えつけようとしても、簡単にはいかないのではないでしょうか。