哲学というものが、よくわからないと思っていらっしゃる人も多いと思います。哲学書とよばれる書物を見てみても、論ずるところが様々であり、同じ学問なのかどうかもよくわからないという意見も聞きます。たしかに、他の学問の書物であれば、多少の切り口や難易の違いはあっても大体予想できる内容の展開となっているのに対して、哲学に関しては、数学に近いものもあれば、一切の真理を否定するようなものもあり、千差万別といえます。

  これらを、「哲学」というひとつの枠で理解しなければならないとすると、一般人にとって、哲学がわけのわからない学問となっているのも理解できます。

  哲学を理解するためには、哲学の対象とする内容を分類することは意義のあることだと思われます。哲学の対象は、存在論、認識論、価値論に大きく分けることができると思います。

◆存在論

  存在論とは、世界はどのような存在であるかということです。これはさらに、精神と物質との関係についてどちらがより根源的と考えるかによって、唯物論と観念論とに分かれます。ここで誤解してはならないことは、どちらが根源的であるかということは、どちらが重要かということではないということです。唯物論とは、精神的なものに対して物質的なものがより根源的であるという考え方で、観念論とは、物質的なものに対して、神や精神などの精神的なものがより根源的なものであるという考え方です。

  唯物論は、精神的なものに対して物質的なものがより根源的であると考え、物質的なものがあってこそ、精神が存在することができると考えます。唯物論には、物質をそれ自体で能動性をもったものと考える立場と、物質をあくまで受動的なものとみる立場に分かれます。物質をそれ自体で能動性をもったものと考える立場は、精神の能動性を認めますが、物質を受動的なものとみる立場では、宇宙が始まった時点で、未来はすでに決まっていたというように考えます。

  観念論は、物質的な世界は、神という精神的な存在が作ったものであると考えたり、または物質的な世界は、自分の意識があってこそ存在するというように考えたりするものです。神が物質的な世界を作ったという考えは、旧約聖書にある天地創造などにも見ることができます。

  一方、物質的な世界は、自分の意識があってこそ、その存在を論ずることができるという考えは、新しい哲学でもいろいろな形でみることができます。この立場は、物質的なものと精神的なものの関係に関して、一見中立的に見えますが、意識を離れた物質的な世界の存在に関して、否定的であったり懐疑的であったりして、物質的なものの存在よりも、意識を絶対的なものとしていますので、結局は観念論に属するということができます。

◆認識論

  認識論とは、我々はどのように世界を認識することができるかということについて考えるものです。そして、真理とは何か、我々は真理を認識することができるか、などについても考えます。

◆価値論

  価値論は、善とは何か、価値とは何か、などを考えるものです。

  認識論や価値論は、存在論とは異なった問題を扱っておりますが、認識論や価値論における立場は、存在論においてどのような立場をとるかによって、大きく影響されます。認識論や価値論に関しては、また別に考えてみたいと思います。