◆論理学とは

  論理学(形式論理学)というと、えらく難しい学問のように思われるかも知れません。しかし、日常の論理で知っていなければならないことは、少ししかありません。論理学の基本になるものは、いわゆる三段論法といわれるものです。三段論法とは、要するに「AならばBである」と「BならばCである」から、「AならばCである」を導き出すものです。

  論理学には、いくつかの守られなければならない規則があります。その最も重要な規則は、「AはAである」、「Aは非Aではない」、「AはAか非Aである」の三つです。これらはどう考えても当たり前のことであって、なぜこのようなことを言う必要があるのかさえも疑問に思う方もいるでしょう。

◆論理学の限界

  しかし、現実にはそうでない場合もあり得ます。例えば、熱湯を用意して、冷蔵庫から氷のかけらを取り出します。「この氷は」といった瞬間に氷を熱湯にぽとんと落とします。「氷である」と言うことができるでしょうか。このように具体的な物に関して時間的要因が入ってくると「AはAである」と必ずしも言えなくなってきます。

  もう1つ例を挙げます。AさんとBさんが向かい合っています。Aさんの右は、Bさんの左です。このように「Aさんの」と「Bさんの」という限定つきではありますが、右と左は反対の概念でありながら、同じものを意味することがあります。したがって、右左などの相対的な概念について話すときは誰にとって、いつの時点のものかなどの条件をはっきりさせないとわけが分からなくなる可能性もあります。

  これらのことは、ある意味では言葉の制約を表しています。現実の世界は言葉に従って動いているのではなく、私たちが、現実の世界の一部を取出して、言葉で表現しているにすぎません。現実は言葉よりももっと豊かなのであり、そのことを忘れてはなりません。

◆論理と思いこみ

  「AならばBである」が正しいときに、「BならばAである」は成立ちません。これが「逆は真ならず」ということです。また「AでないならばBでない」も成立ちません。「AならばBである」は「Aである」場合についてしか言っていないことに注意することが大切です。このままではわかりにくいと思いますので例をあげましょう。

  ●例題1.母親が子供に「お利口にしてたら、お菓子をあげる」と言ったとします。そして後で子供はお菓子をもらいました。質問です。その子供はお利口にしていたでしょうか?

  まず、答えを出してから、進んで下さい。(1)お利口にしてた、(2)お利口にしていなかった、(3)わからない、の三択でどれでしょうか。

  正解は(1)でも(2)でもなく(3)です。「BならばAである」が成り立たない例です。「お利口にしてたら、お菓子をあげる」は、論理的には「お利口にしなかったら、お菓子をあげない」ことを意味しません。「お利口にしてたら、お菓子をあげる」は、お利口にした場合についてしか言っていないのです。「お利口にしなかったら、お菓子をあげない」ことまで言ったと思うのは思いこみです。

  ●例題2.母親が子供に「お利口にしないのだったら、お菓子はあげませんよ」と言ったとします。子供はお菓子がほしくてお利口にしていました。母親は子供にお菓子をあげなければならないでしょうか。

(1)あげなければならない、(2)あげてはならない、(3)どちらでもよい、のどれでしょう。これは教育の問題ではなく、論理学の問題であることに注意してください。

  正解は、(1)でも(2)でもなく(3)です。「AでないならばBでない」が成立たない例です。「お利口にしないのだったら、お菓子はあげませんよ」と言った場合、「お利口にしてたら、お菓子をあげる」ということにはなりません。なぜなら「お利口にしない」場合のことしか言っていないからです。「お利口にしてたら、お菓子をあげる」と言ったと思うのは思い込みです。

  このような解釈はひねくれたもののように思われるかも知れませんが、実際に契約書などでは充分注意しなければならないことです。また、思い込みにより、人によって解釈が異なる文を書くと、混乱したり誤解が起こったりする原因になりますから、注意が必要です。

  ところで、「AならばBである」が正しいときに、「BでないならばAでない」は成立ちます。「お利口にしてたら、お菓子をあげる」といったときに、もし子供がお菓子をもらえなかったとしたら、その子はお利口にしなかったのだということは言えます。

◆演繹推理と帰納推理

  演繹推理とは、普遍的な知識や法則から出発し、これらを用いて、個別的な状況を予測する推理です。「AならばBである」と「BならばCである」から「AならばCである」を導き出す三段論法は演繹推理です。ニュートン力学を用いて、人工衛星の打ち上げのための軌道を計算したりするのも、このような演繹推理の例ということができます。演繹推理では前提となる知識や法則が正しければ、得られる結論も正しいものが得られます。しかし、演繹推理では前提の中にもともと推理される内容が含まれており、新しい法則や知識を必要とする場合には対応することができません。

  帰納推理とは、個別的な知識から出発し、これらを総合することにより、より普遍的な知識や法則を得ようとする推理です。演繹推理と異なり、新しい法則や知識を導き出すきっかけとなるものです。しかし、帰納推理は不確実なもので、結論が正しいとは限りませんので、さらに検証が必要になります。

  論理学は正しく考えるために必要な学問で、他の学問と同じく奥の深い学問です。それでも、日常的に考えるために、難しい理論の隅々まで知らなければならないわけではありません。日常において必要な論理学の重要な点は、一応説明したと言えると思うのですが。