今の世界は様々な問題を抱えています。環境問題は、中国を始め発展途上国が発展するとともにますます深刻になっていくことは、避けられないかもしれません。このような不安をどのように考えたらよいのでしょうか。

◆高度成長時代の日本

   僕は大阪育ちですが、昔の地域教育の教科書では、「大阪は東洋のマンチェスターと呼ばれ、また煙の都と呼ばれています。」と誇らしげに書いてありました。昔はまだ公害という概念が定着しておらず、工業化、人工のものは全て進歩として考えられていたのです。子供は、舌がオレンジ色に染まる粉末ジュースを飲み、添加物のあまり規制のない食品を食べていたのです。空はどんよりとスモッグに覆われ、それが誇るべき「煙の都」なのだと思っていたのです。近くの川は、不気味な色とともに、吐気を催すような異臭を放っていました。

   それから水俣病、富山のイタイイタイ病、四日市喘息、カネミ油脂症、スモン病、サリドマイドの訴訟など、公害関係の訴訟があふれるようになりました。そして、それまでの工業の発展を無条件の善と考える価値観から、工業化社会の是非が議論されるようになりました。さらに科学技術そのものに対しても疑問を呈する議論も出て来ました。人間は昔ながらの自然の生活に戻るべきであるという意見を唱える人も数多くいました。宗教も千載一遇の機会をえたように、近代文明は宗教を忘れた人類とその科学の倣慢に基くものであるとの議論をしていました。某宗教団体が1500万世帯もの会員数を誇っていたのもその頃です。

   欧米では、職につかないヒッピーといわれる若者があふれ、日本でもそれに賛同する動きがひとつのファッションであり、社会批判の形態のようになっていました。一方、1970年前後は、学生運動が盛んで、革マル派とか中核派、赤軍派などのいわゆる過激派集団が現れました。彼らはマルクスがどうのこうのとか言っていましたが、彼らは殆どマルクスの言ったことをろくに理解もせず、今の暴走族が暴動を起したりするのと同じような形で、何らかのはけ口を求めていたのでしょう。

◆最近の環境問題

   1970年頃から30年余りも経って、その間に日本はどう変ったでしょう。当時深刻であった公害問題はどうなったでしょうか。公害問題がなくなったわけではありませんが、少なくとも都会にも青空が戻り、都会の川も随分よくなりました。現在の温暖化現象など地球的規模の環境問題は、過去の公害問題を曲がりなりに解決しつつあった人類にとっての新たな課題ではないでしょうか。人類には発展とともに常に新たな課題が課せられるのです。地球の温暖化やオゾンホールの問題を認識できることも大きな進歩ではないでしょうか。新たな課題を認識し、その課題を解決していくことにより、人類は進歩していくのです。

   過去にあれだけ深刻であった公害問題は、どのように改善されてきたのでしょうか。当時と比べて、人間はエ業化をやめたでしょうか。また、昔ながらの自然の生活に戻る人が増えたでしょうか。それとも人類の科学技術の倣慢を悔い改め宗教を復活してきたのでしょうか。僕はそうは思いません。むしろ、公害問題という社会の発展における矛盾(問題)を認識し、社会のあり方、工業化のあり方、科学のあり方を見直し、総合的科学的に対処することにより、法制度を変え、企業のあり方の改善を迫り、公害を防止する科学技術を発展させることにより解決の道を模索してきた結果だと思います。

◆社会の進歩と人類の課題

   現在、地球規模の環境問題という新たな課題を認識できるようになったこと自体、科学技術の成果です。課題の認識は、未来への挑戦の第一歩です。人間の進むべき道は、工業化をやめることでも、昔ながらの自然の生活に戻ることでも、人類の科学技術の倣慢を悔い改め宗教を復活することでもないと、僕は思います。これからの将来は、地球規模の環境問題解決のために、世界中の人々が協力することが迫られつつあるのではないでしょうか。このような事業に多くの人々が直接参加し貢献していることを忘れてはいけないと思います。またわれわれ市民もこのような政策や事業を応援することが求められています。

   社会は絶えず発展し続けます。人類はサルから発展して現代の社会を作ってきたのです。人間は労働することにより人間になりました。二足歩行により手が自由になり、労働が芽生え、労働とともに言葉も生れました。人間が労働することから、物々交換が始り、さらに流通を円滑にするために貨幣が生れてきました。貨幣が生れて流通が発展するとともに科学技術も進歩し、手工業から動力を使った産業革命が起り、資本主義社会が発展してきました。これらは全て歴史的必然です。今日の産業社会も人類史の必然的発展の一過程であり、工業化から昨今のIT化への発展も、それ自体の意義を否定するのは誤りだと思います。

   現在の社会のあり方は様々な問題を抱えていますが、問題とその原因とを見誤ってはなりません。産業によってもたらされた弊害や悲劇があることを見て、産業そのものや科学技術そのものを否定するのは、人類の本質と社会の発展の本質を見ない議論でしょう。